思春期に入る子供と親の微妙な距離感

「褒められることも嫌、心配されることも嫌。

ただ、黙ってみていればいいの。」

子供から言われた言葉です。

日頃ついつい、言ってしまうのが、

「今日は、言われなくても宿題やって偉かったね。」

「洗濯物ちゃんとしまって偉いね。ありがとう。」

などの誉め言葉や、「大丈夫?」という言葉。

毎日、毎日、

使い過ぎてしまうのかもしれません。

思春期の子供は、とても複雑で繊細な

心理を抱えている。

自分が通り過ぎてきた時期であっても、

大分過去の話だし、それぞれに個人差も大きい。

今日は、この思春期の繊細な感性を

理解するという試みをしたいと思います。

褒められることや心配されること。

きっと、うざったく感じるのでしょう。

理由を聞いたって、

当の本人もうまく説明できない場合が

多いのではないかと思います。

返ってくる返事はおそらく、

「うるさいな。どうでもいいでしょ。」

だと思います。

褒める行為自体は、

愛情や相手への関心から

自然に行うことなのですが、

あえて違う見方をすることもできます。

褒めるということは、

褒める=相手への報酬となり、

相手にその行動をして欲しいと

促していることにもなる。

つまり、褒める場合は、

相手の反応を強化しようと、

操作的に関わっているとも言えてしまう。

それが、たとえ意図的でなく、

無意識で行っていたとしても。

大人になろうとしている心は、

「相手の思う通りになんてならない、

私はもう、大人の言う事を聞いて、

ただ従う存在ではない。」

と訴えているかのようです。

そして、自分の考えや価値観を

形成しようとする過程を邪魔しないで欲しい

という気持ちを抱えているのかも。

だから、そっとしておくのが一番良い。

相手を信じて、見て見ぬふりを。

が良いのかな、と思いました。

感性豊かな年頃では、

操作されているとまでは思わなくても、

自分に何らかの影響力があるために、

判断基準に干渉してくる微妙な匂いをかぎ分けて、

拒絶するのかもしれません。

危険を伴うようなこと以外は、

あまり口うるさくしないように

気をつけようと思いました。

心配されることに関しても、

「大丈夫?」と言われることは、

言われた側からすると、

心配されるような何かの問題が

自分にあるように感じさせて

かえって不安にしてしまう

可能性があるのかもしれない、、とも思ったり。

そんなことを言っていたら、

もう、褒めることも心配することも

できないのかと思いますが、

「ただ、黙って見てればいいの。」

の言葉通り、

何も言わずに、相手を信じて見守る。

こう言う事が求められる時期が、

きっと来たのですね。

子供は成長と共に、

少しずつ少しずつ親から離れていく。

寂しいことではありますが、

干渉しすぎないように、

けれど、必要とされる時には

傍に居られるように、

関わり方を変化させていく必要があるのかなと

思いました。

いろいろと身の回りの世話を焼く時期から

子供に任せて、そっと見守る時期に入ってきている。

心の負担にならないように、

そして、親自身が子供に依存せず

少しずつ子離れし、

自分の人生の目標を見据えて

進んでいくように準備をする時期でも

あるのかなと思います。

子供には子供の人生があり、

親には親の人生がある。

親子であっても、

それぞれに個性を持った人格があります。

親の想い通りにしようとすることは、

してはならない。

大好きな存在であることに変わりはなく、

求められたときには、

いつでも大歓迎してあげられるように、、

自分自身の心のゆとりがもてるよう、

精神面の自己管理に努めることが、

子供のためにもなるのだと思いました。

そういえば、、、

「親という字は木の上に立って見ると書きます。

親はただ、木の上に立って見ていることしか

できないんですよ。」

というセリフを、

昔、何かのドラマで聞いたことを思い出しました。

きっと、その通りですね。。

お読み下さり、ありがとうございました。

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