強い劣等感による辛い思いへの対処方法

劣等感についての質問について、考えてみたいと思います。

質問内容は、以下の様なものです。

劣等感の消し方はおかしいか?普通か?を教えてください。

「40代男性。年収も学歴も低く、子供が2人いて田舎暮らし。奥様は扶養の範囲内でパートしている。

都会の人に比べると年収は半分以下、頭も悪い。

皆より下という感覚で生きてきたが、

最近Twitterを始め、リアルタイムで声が聞けるのに驚きました。

進行性の疾患を抱えた子持ちの家族や、金持ちだけど不妊治療している夫婦、結婚を諦めた40オーバーの女性、事故で両足がなくなった20代女性などをフォローしている。

周りはすべて、青い芝生に見えたのに、苦労している人がリアルタイムでいることを知った。

そうすると、地獄と思っていた年収低くて、妻もパートで、子供もいてギリギリの生活で、最悪の家族と思っていたのが、なんだか、まあ、いいかとなりました。

これらの人がリアルタイムで同じ日本にいること。これらの人の声も確認できることで、自分の劣等感がなくなりました。

こんなやり方、間違っている!って思いますか?

私の劣等感の消し方はおかしいですか?」

このような内容の質問でした。

劣等感は、根深く苦しい感情です。

hanaも劣等感に苦しんできたので、

誰かと比較して自分が劣っていると感じて

苦しむ気持ちは、何年も感じてきました。

自分より下だと思う人を見つけて、

「あの人よりはマシだ。」と思い、

安心したくなる気持ちも理解できます。

けれど、それって一時的なものではないかな、、と。

あなたは本当に苦しみから

抜け出したのでしょうか?

他者と比較することが続く限り、

心の平安は訪れないのでは、、?

これは、あなたに限った話ではなく、

他の多くの人にも言えると思うのですが、

私たちは、学校教育の中で、

常に、他者と比較されてきましたよね。

成績をつけられ、順位をつけられ、

良ければ褒められ、悪ければ注意を受け、、。

戦後に作られたもので、

もはや時代遅れの価値基準になっていますが、

今も、続けられています。

こういう背景の下では、

「他者と優劣を比較する思考」や、

「競争意識」を持ちやすくなるのは、

当然のことで、誰もが経験します。

けれど、ここで振り返ってみて欲しいのです。

いつのまにか持っていたこの価値基準は、

「本当に正しいのか?」

「この価値観を持っていることは、あなたを幸せにするのか?」

ということを。

学校に行く前の幼い時期、

友達と自分を比較することはあったかもしれませんが、

それは、どのようなものだったでしょうか。

例えば、「あの子はとてもかけっこが早くてすごいな!

だけど、私の方がお絵描きは得意だよ!」

とか、

「私は、縄跳びが苦手。

あの子は、歌が苦手なんだって。」

とか。

それぞれに、得意な事や苦手なことがあって、

でも、別にそれぞれ違って、

それで良かったんですよね。

得意な事を活かして、苦手な事は補い合う。

人はそもそも、

同じ一つの物差しで、

その価値を決めつけられるほど

単純な生き物ではないはずです。

なので、頭が良いから優秀だと

決めつけること自体が本当はナンセンスです。

頭が良いというのは、

その人の特徴の一つではあるけれど、

イコールその人の価値ではないはずです。

頭が良くても、

人の気持ちを理解するのが苦手とか、

得意不得意は誰にでもあります。

勉強ができなくても

植物を育てるのはとても上手とか。

お金があるかどうかでも、

人の価値は決まりませんし、

幸せかどうかも、

お金で決まるわけではないと思います。

何が言いたいかと言うと、

今、あなたが持っている価値基準を、

一度見直してみても良いのではないか、と言うことです。

人と比較することそのものが、

大切な事でしょうか。

人間ですから、比べてしまうのは自然なことです。

その気持ちがあるのは普通のことですが、

それに振り回されて苦しむのなら、

重要な事として位置づける必要はないのかなと。

人との比較は、自分の頭の中で作り出した

幻想みたいなものです。

あなたが不幸だと思っている人は、

あなたがそうだと思っているだけかもしれません。

あなたが幸福だと思っている人も、

あなたがそうだと思っているだけかもしれません。

本当のことは、

当事者に聞いてみないと分からないことです。

それよりも、今、

目の前にある現実に目を向けて、

あなた自身の胸に手を当てて、

聞いてみて欲しいと思います。

今、この瞬間、

あなたの奥さんが穏やかに笑っていたとします。

「あなたの胸はどんな風に感じますか?」

今、この瞬間、

あなたのお子さんが「お尻ペンペン!」

と可愛くふざけたとします。

「あなたの心は、どんな気持ちになりますか?」

幸せは、比較の中には生まれません。

比較の中の安心感は、

比べる相手が変われば、簡単に崩れるものです。

あなた自身の胸が、心が、どう感じるのか?

そこに、幸せの基準があるのではないでしょうか?

何を幸せだと感じるかは、人それぞれです。

それを決めることができるのは、あなた自身です。

あなたの心がどう感じるのか、

胸がときめくのか、

ほんわか温かくなるのか、

もしくは、ヒンヤリするのか、

そういう感覚を大切にされていく事が、

外側にある価値基準に囚われず、

幸せな人生を創っていくための

道しるべになるのではないのでしょうか?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする