お金のない社会になったら・・理想郷の物語。

こんにちは、hanaです!

今日も爆走、妄想トークになります。笑

もしも、hanaワールドに興味を持ってくださったなら、

どうぞ、楽しんでいってください。

年度が切り替わると、

毎年、税金のお知らせが届きます。

見るたびに、高いなぁ・・と思います。

消費税、住民税、固定資産税、贈与税、、

ガソリン税、たばこ税、自動車税、所得税、、

何か買ったり、贈ったり、所有するだけで、

そこに税金が課せられる仕組みを一方的に決められて、

従わなければ、「脱税」とか言われて、

犯罪者扱いされるこの仕組みは、

まるで、悪徳業者のようだと

感じてしまうことがあります。

これからも、防衛費のために増税するらしいですね。

戦車一台分で、何人の学生の

奨学金が支払えるのだろうかと、

考えてしまいます。

徴収された税金によって、教育費無料とか、

高齢者施設への入所が無料とか、

充分に還元されていれば、

不満には感じないのかもしれないけれど、

日本では、税金が高くても

教育費も老後の費用もかかります。

コロナ予備費での使途不明金が12兆円だと

ニュースになっているのを見たり、

岸田総理が海外に行ったと思うと、

新たに支援金の話しを持ち帰ってくる。

フィリピンに年間2000億円とか、

アフリカ支援に300億ドル。

国民は、家を買えば、土地代を支払った上に、

ローンにも利子がついているのに、

さらに、固定資産税などを徴収され、

車に乗れば自動車税にガソリン税。

何か買えば消費税。

お金を稼げば所得税。

ここまで来ると、嫌気がさします。

そして、お金でも家でも、車でも、

商品でも、所有するから徴収される。

この意味って、

何なのだろうと考えてしまいます。

きっと、縄文時代とか、

大昔は所有の概念なんてなくて、

ここら辺が良さそうだから、

住もうかなと思ったら、

その近辺に住む人と話をすれば、

「その辺、空いてるからどうぞ。」

みたいな感じで住むことができて、

お金なんて必要なかったんじゃないかなと。

勝手な想像ですけれど。

現代社会のように、

借金を背負わされて、返還の義務を負って、

働くために時間と労力を奪われ、

好きな事をするための時間は、

どんどん少なくなっていく社会。

マネー第一主義の世の中。

お金を集めることに一生懸命になり、

持っている人が得をする。

みんな忙しそうで、

通勤の時間帯に見かける人は、

楽しそうな人よりも、

無表情の人が圧倒的に多くて、

感情を切り離して生きている様が、

いつの間にか当たり前になっている気がする。

レジの対応も笑顔がなく、温かみがない人が

なんとなく増えているような気がするのは、

気のせいかな、、、?

専業主婦が多かった昭和の時代の方が、

もう少し、柔らかい表情をしている人が

多かったような、、?

私達は、所有することで、

幸せになったのでしょうか。

物質的には、確かに豊かになりました。

私が子供の頃よりも、圧倒的に。

数百円で可愛い子供服が買えたり。

100円ショップで買える物もたくさんあります。

けれど、幸せ度が上がったのかと言うと、

そうでもないような。

物質的な豊かさも大切で、

生活が便利になることは、

確かに、有り難いことです。

けれども、それを楽しむ時間がない。

特に、働き盛りの年代は、

共働きも多く、忙しい人が多いです。

その一方で、心を病んで、

家から出られなくなっている人も

多くなっている。

何か、大切なことが忘れられている。

それは、多くの人が感じることでは

ないでしょうか。

所有することよりも、

人と分かち合う事や、助け合う事を

大切にしていくこと。

極論かもしれませんが、

いっそ、「これは私の物です」なんていう

概念がない方が、

世の中もう少しうまくいくのでは

ないかと思ったりすることがあります。

もしも、今の社会で全てが無料になったら。

どんなことが起こるのでしょう。

無理に働く必要がなくなり、

だけれど、「人の為にできることがある」

という喜びのために奉仕する働き方に

変わっていくのかなと。

無理のない範囲で働くという自由ができて、

今よりも時間に縛られることが

少なくて済むような社会になる。

介護が必要なら、ボランティアで

行ける人が行ける時間に手伝いに行く。

家事の合間にとか、子供の用事のついでにとか、

いろいろと融通が利く方が、無駄がない。

全てが無料なら、

貧富の差がなくなり、

物を盗む必要がなく、

貧困が原因になっている悲しい犯罪はなくなる。

経済的理由でできなかったことを

できるようになり、

旅行を楽しむこともしやすくなる。

サービスを受けられる時間や

内容の制約はあるかもしれないけれど、

それでも、お互い様で済ませられる。

困っている人のために

何かをしようと、ボランティア活動を

自発的に始める人は、きっと沢山いるので、

感謝の和で人がつながっていく。

何もしたくなくて、

家でゴロゴロしていても、

いずれは何かしたくなるのでは?

そんな時も、履歴書とか面接や試験とか、

面倒な書類を書く必要がなくなれば、

働く事へのハードルは下がるかもしれない。

どんな仕事にも価値があり、

保育士さんや介護士さんのように、

本当に必要とされる仕事をしている人が

最も感謝される存在になるのかもしれないし、

理不尽な安い給与で、長時間縛られずに済む。

様々なサービスが無料なら、

家も無料で建ててもらえる。

必要に応じて、大工さんや建築士さんに相談して、

理想の家を建てられる。

良い仕事をしてくれる大工さんが、

話題になり、人気になっていくでしょう。

大工さんも、無理のないペースで仕事ができるし、

お金に縛られずに良質の材料を選んだりできる。

腕の良い大工さんに憧れて、

学びにくる若い人もいるでしょう。

おいしいものが食べたければ、

本当に料理が好きな人が、

心をこめておいしいものを作ってくれる店に

無料で食べに行くことができる。

「ありがとう」と「お互い様」の世界にいたら、

サービスを受けるばかりでは情けなく感じるものです。

自分も役に立つことを、何かしようと、

必然的に感じさせる社会になるのかなと。

学校も無料になれば、

好きな事を仕事にするための

ハードルは低くなります。

得意なことや好きな事を

職業として選ぶ自由が増えて、

働くことは、人のためだけでなく、

自分の幸せにもなっていく。

本当にやりたい仕事に就くための勉強なら、

なんとなく、消去法で選んだ仕事よりも、

学習する意欲が湧いてくるでしょう。

仕事の拘束時間が減ることで、

時間のゆとりと心のゆとりができれば、

ゆっくり話をすることができる。

家族や大切な人と過ごす時間が増えて、

孤独な人が減っていき、

幸福を感じる時間は

増していくのではないでしょうか。

年老いた家族の傍で、

世話をしたり、話を聞いたり、

必要なら、サポートを求めることも、

余計な縛りがない中で、

思いやりのある関係性の中で行う事ができる。

今は、介護保険で、

「できること」と「できないこと」が、

サービスの中で明確に決められていて、

困っていても、

手伝ってもらえないこともあるけれど、

ボランティアなら縛りはなく、

痒い所に手が届く。

お金を支払っているのだからと、

傲慢になったり、

当然のようにしてもらう

という立場ではなく、

感謝によって、

お互いの立場を思いやりながら、

人間らしい交流がもてる。

そう考えたら、お金なんて、

いっそ無くしてしまった方が、

世の中うまく行くのではないかとも思います。

一方で、全てが無料になったら困るのはどんな人だろう。

お金持ちで、大きな家に住み、使用人を雇って

生活していた人は、困るかもしれません。

もう、お金を支払って

人を雇うことができなくなるので、

人徳がなければ、

家政婦さんはいなくなるでしょう。

明日から、料理も洗濯もご自分でやってください。

と言われたら、困ってしまうかもしれません。

広い家に住んでいても、掃除をするのも

管理をするのも大変。

不必要に大きなお屋敷は、

手放そうと思うかもしれません。

いつの間にか、便利さと引き換えにお金に縛られ、

搾取されてきた時間や労力を、

奪われるばかりの世の中よりは、

全てが奉仕の精神や分かち合うこと、

助け合うことの中で、

成り立つような社会になれば、

溜めこむことも、搾取することも

できなくなります。

どうせ、全部無料なんだから、

働かなくてもいいや。

「だったら何もしない」と言って、

家で寝てばかりでは、

かえって居心地が悪くなりそうです。

引きこもってもいられなくなるかもしれない。

と言うのも、余計な仕事はなくなって、

本当に必要な仕事が残ることになり、

周りが放っておかなくなるくらい、

暇な人が増えるのかもしれない。笑

洋服も、作ることが好きな人が自由に作り、

食べ物も、作ることが得意な人が作って、

みんなが集まる市場に並べて、

欲しい人が自由に持っていく。

〇〇さんの作った洋服、素敵ね!と、

その地域で人気になったり、

〇〇さんの作った野菜は、

特別甘くておいしいね!と評判になって、

作り方を学びに来る人がいたり。

そんな自然なつながりができたら、

きっと、豊かで楽しい社会になる。

土地の所有についても、

すでに人が住んでいる場所以外なら、

使ってない空き家に住んで良いとか、

空いている土地は、誰のものでもなく、

自由に有効活用できたりとか、

長いこと空き家になっているなら、

近所の人達で話し合って、

建物を解体して、公園にする決定ができたりとか。

税金とか、所有とかいう余計な決まりがなければ、

もっと自由にできるような気がする。

人に迷惑をかけないようにという

配慮をしながら、

良心に則ってルールを決めて、

その都度、柔軟に対応できるようにする。

何か問題があれば、

町内会長さんみたいな人の所に行って、

話し合いをするとか、

そんな中で、人として大切にすべきものは何かとか、

お坊さんのような徳のある人に

説法して頂いたりとか、

人間味のある解決策を考えていくことが

大切なのではないかなと。

結婚も、ある意味相手を独占するという

所有に近いものになっているけれど、

全てにお金がかからなければ、

離婚する時も財産分与とか、

面倒な手続きは不要になり、

離れて暮らす決断をしやすくなるかもしれません。

いろいろと窮屈なルールで縛らなくても、

好きな者同士は、放っておいても

一緒にいるのだろうし、

子供は好きな方の親と暮らして、

地域で見守るみたいな、

そんな暮らし方も良いのでは

ないかなと思ったり。

現代は、技術的にも進んでいるので、

AIの技術をうまく活用すれば、

無人で済ませられる仕事も多いだろうし、

ロボット技術を活用していくことで、

重労働の負担も減らしていくことが

できるのだろうと思います。

先進技術の活用も、

余計な利権に縛られなければ、

より良い形で生活に取り入れることが

できるのではないか、、?

本当に社会に役立つ研究も、

費用がかからず、人の熱意と協力で

行われていくようになったら、

理想を追いかけやすくもなりそうです。

乗り物も、自動運転やドローンの活用で

変化していき、輸送手段も変化していくので、

ますます、生活の自由度が広がりそうです。

お金のない社会は、

いつかやってくるのでしょうか。

突っ走った妄想ですが、

お金がなくなることで良くなる事って、

意外とたくさんあるんじゃないかなと思いました。

必要だという思い込みがあるので、

なかなか考えにくいことではありますが。

そして理想論なのだけれども、

もし、そんな社会が実現したら、

幸福度は上がるのではないかな、、と思いました。

お金様から、お陰様の社会になったら、

大人も楽しい社会になりそうな気がします。

今日も、お付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!!

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