信仰心のもつ底知れぬ力

こんにちは、hanaです。

この場に来て下さり、有り難うございます。

今日は、信仰心について書いてみたいと思います。

というのも、少し前から

気になっていた言葉だったので。

なんとなくですが、

「信仰心」という言葉から、

美しさを感じませんか・・??

・・・笑

別に感じなくてもいいですよー!!笑

信仰心とは・・・?

信仰心というと

宗教のイメージが強い言葉ですよね。

キリスト教を信仰していますとか、

仏教を信仰していますとか

何かそんなイメージがある言葉だったのですが、

本来の意味はもう少し幅の広い意味を

包含している言葉のようです。

信仰心という言葉をインターネットで調べてみました。

コトバスタによると

一般的には神や仏に対する深い信頼や敬愛の気持ちを表現します。

また、自分自身や他人に対しての信じる心や応援する気持ちも含まれることもあります。

信仰心はユニークな信じ方や価値観をもつ個人によって異なる場合があります。

そのため信仰心は広範な意味を持ち、特定の宗教や信条にとらわれず、

個人の心のあり方や信じるものに基づくものとなります。

信仰心とは心の内に宿る信じる力であり、

人間の精神的な豊かさを表わすものであると言えます。

コトバスタ より 「信仰心」とは?意味や例文や読み方や由来について解説!|コトバスタ (kotobasta.com)

と、ありました。

信仰心という言葉は、

心の内に宿る信じる力のことを指している。

うん。しっくりきます。

何かを信じるということは、

きっと誰もがしていて、

誰かのことを深く信頼している気持ちとか

自分の中にある良心を信じるとか

見えない超自然的な力を信じることとか

この世界を創り出した大いなる存在を信じるとか

信じる対象がなんであれ、

それを持っていることを信仰心があるという。

信仰心のもつ底知れぬ力

そして、なんらかの信仰心があるということは

自分の人生を良い方向に導いてくれたり

悪に染まらないことにつながったり

そういう意味において

自分を守ってくれるものとなったりする。

そういう力を秘めたもので

とても貴重で

私たちに力をくれる

大切なものだということが感じ取れます。

信仰心があることで

困難な局面を乗り切れたり

重要な選択をする助けとなったり

人生の道標を提供してくれるような

すごく大切なもの。

そうそう、

悟りをひらくためには、

神への信仰心やマスターへの信仰心が

欠かせないものだと

ヨグマタジ相川圭子氏の書籍に書かれていました。

ヒマラヤ秘教における悟りの内容を考えた時に 

生死の境を乗り越えていくもの

という事実があります。

実際に体は活動を止めて、死んだ状態になり、

そして数日間という時間を空けて蘇る。

イエスキリストの復活というのも

作り話や例え話ではなくて、

ヒマラヤ秘教のサマディレベルのことが

キリストにできたと仮定すれば

本当にあったとも考えられます。

だからこそ、長きにわたって残っている。

嘘なら、そんな力はないはずです。

こんな並外れた偉業を可能にすると考えると、

信仰心に秘められた力というのは

相当なものだということが分かります。

何かを信じるということには

とてつもなく大きな力があって

それは生死すらも凌駕するということなのかもしれません。

赤ちゃんは、まだ何も分からないうちから

お母さんの存在を必死で求め、その存在に安心感を感じます。

赤ちゃんには、お母さんを動かす力があります。

オムツを変えさせたり、抱っこさせたり・・

「ママじゃなきゃイヤ!」ってなったら、

それはもう、逆らえません!!笑

そこに、理屈なんてない。

そんな、何も分からないうちからある

命を預けるくらい純粋な信仰心。

何かを信じるということの

底知れぬ力・・・。

歴史上に起こったとされる奇跡の数々も

この力が関係していたのではないかと

感じることもあります。

山を動かしたり海を割ったりと言った

一見不可能に見えることも

もしかしたら本気で信じたらできるのかしら・・?

なーんて。

どうしても、そんなことできるわけないという

合理的判断が邪魔をするので、

それをできる人は本当に限られるのでしょう。

改めて、信仰心はすごい力を秘めたもので

人間の可能性を開くのは

この力が鍵になるのではないか、なんて感じました。

神様を信じましょうなんて、

言うつもりはありませんが

信仰心があることは

生きていく上でとても大切なことで、

身を守ってくれたり

大切な判断を大きく間違えないための

道しるべになってくれるなと感じます。

自分自身の内側にある力を信じるというのも信仰ですよね。

信仰心の深さはそれぞれに異なりますが

生きていくためには何かに対する信仰心を

自然に持っているのかも知れません。

まるで、お母さんを信じる赤ちゃんのように。

それは、科学かもしれないし、

一般常識かもしれない。

それがなんであれ、

信じている対象に力を与えているし、

それに守られている。

信仰心は、

純粋であればあるほどに、その力を増していく。

そんな風に感じるのは、気のせいでしょうか。

心を浄めるとは、

純粋に戻っていくということでもあり、

そうすることで、研ぎ澄まされていく力がある。

悪知恵では決して到達できない、

未知なる力を使えるのは、澄み渡った心の持ち主に限られる。

そんなことを、ふと感じた次第です。

それでは、今日はこの辺で失礼します。

お読みくださいまして、ありがとうございます。

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