
こんにちは、hanaです。
今日も、元気に過ごしてますか?
自分の価値を信じることについて
まずは書いていきますね。
何もない自分。
その状態を認めて受け止める。
特にこれといって特技とか才能とかない。
人よりも秀でたものなんてない。
そんな自分を認める。
ありのままを受け止める。
自分の価値とか良いところって
見えなかったりするものだと思うんです。
認めるのも抵抗がある。
人から褒められても、
そのままでいいと言われても
何かがなければダメな気がして
足りない何かを埋めようとすることはありませんか?
私はあります。
それが努力の原動力でもあるので
悪いこととは思いません。
ただ、悪くはないのだけど、終わりもない。
どこかで一回、
自分のことを一切否定することなく
丸ごと受け止めてみる。
すべてを全肯定する言葉をかける。
そんなに立派じゃないよと
照れるくらいの言葉を浴びせる。
その位に自分を褒めたことって
人生の中でありましたか?
私はなかったです。
これでもかってくらい
ひどい言葉は浴びせたことがあって
何度もあったのに
褒めたことって
それに比べたらすごく少なかった。
褒められたことより
注意とか指摘の方が記憶には残りやすいです。
それは、より良くなって欲しいという
願いからの声かけだから
今さらそれをどうこう言うつもりもなくて。
ただ、それに気づくことができたのだから、
今度は褒めてあげよう。
とにかく、馬鹿じゃないのと言うくらい思い切り、
自分が大好きすぎるおかしな人になって
思いつく限りの褒め言葉を浴びせてみよう。
別に声に出さなくていいし
紙に書くでもいい。
注意事項としては、
人前でやらないことかな。
多分ね、変な顔になってるから。笑!!
とにかく、自分で恥ずかしくなるくらいに
自分のことを褒めてみて下さい。
自分で自分を認めるって
ものすごく大事なことです。
私も、最近になって気づきました。
自信なかったです。
肩書きとか資格とか
有名な人が言っているとか
他人から見て分かりやすい証がなければ
その人の価値が分からない人もいるけれど。
私が伝えたいことは
そう言うことではなかった。
何もない人として現れて
それでも、忘れてた何かを感じるとか
そういう言葉にしにくい感覚。
人に誇れるような
誰が見てもわかるような証なんてなくても
これまで、自分自身から逃げずに
自分の弱さと対峙してきた
この自分の価値には嘘がないので。
今書いていることは、
しっかり褒め言葉と向き合って
受け止めて出てきた感覚なんです。
それこそ、感覚的に理解できる人はいます。
何かの超能力が使えるとか
そういうことも確かに凄いことだけれど
御魂磨きはそういうことじゃない。
磨いていく過程で
そういう能力を授かることもあるらしいけれど、
執着するとその先に進めなくなる。
わたしは本当の欲張りだから
そんなものでは満足できなくて
どこまでも悟りを目指したい。
そこに、人間が体験できる
最高のものがあると魂が示すから。
そんな人間です。
本物にしか興味がない人には感覚的に伝わるかな。
偽物じゃダメなんだよね。
だから、本当に欲張りです。笑
表面的なことや中身のないこと
本質から外れた幸せそうな幻想とか
そういうの、私には無意味なんです。
私が情けないことや失敗や
ダメな部分を隠さずに書いてるのは
そのことの大切さが
分かる人には分かるからで、
それで大したことないって思う人は
価値観が違う人なんです。
意図したのではないけど
ある種の選別になってるようです。
失敗しない人なんていないので、
そういう姿も出してくれる人は、
私は信頼できるなと思うし好きです。
だから、自分も出すようにしてます。
変にカッコつけても
自分自身に嘘はつけないので
逆にカッコ悪さが際立って見えて、
そんなことに自分が耐えられない。
だったら、出しちゃおうと。笑
ある意味、笑われても恥をかいても
そんなもの、大したことじゃないんです。
そして、思うことは、
内面的な価値は、
外面的な価値とは異なるもので
煌びやかではないのです。
地味で目立たなくて
一見すると、つまらなさそうに見える。
例えるなら、
西洋と東洋の建築物の違い
みたいな感じでしょうか。
西洋の教会のように
装飾が華やかで天使や神様の
絵画や彫刻が散りばめられていて
ステンドグラスが色とりどりの光を届ける。
こんな、ひと目で分かる魅力は、
美しくて伝わりやすいです。
誰からも、「素敵ね!」って言われるでしょう。
一方で日本のお寺は、
地味で簡素。
装飾は白黒の掛軸。
空間が多くて茶色い柱に障子は白一色。
庭には苔の生えた石や岩。
地味でつまらなそうな中に
心は何を映し出すかを感じとる必要があり
感じ方は人それぞれ。
そこにある価値を探すことに
似てるかもしれません。
理解できる人には伝わる何か。
感覚を研ぎ澄ませて
感じ取る力のある人には通じるもの。
外見で判断する人が多い中で、
そんな日本の魅力に、
海外の人の方が価値を見出すこともある。
確かに、表面に滲み出るものはあります。
ただ、それだけしか見ないと
価値基準が客観的な評価に縛られて本質を見失う。
あくまでも外見は結果であって、
結果の良し悪しの判断も、
これまで浴びせられてきた
価値基準が元になっていて
それは、幸せと関係なかったりする。
本質は内側にあって、幸せもそこにある。
既存の価値観から抜け出すことが
『鍵』になってるんです。
自分の感覚を信頼することから道が開く
これまでと違う価値基準で選び判断する。
感動を大切にして感覚を信じる。
作られた社会に適応するための仮面でなく
本質の自分に還るための『鍵』。
グルジェフの言うところの
複数の私の中の本質を育てること。
その方が自分に合うものを見つけられて
間違いにくいし、
幸せになってく道が待ってるよ。
特に人との出会いは。
hanaのところを選ぶ人は、
そういう自分の感覚を信じられる人。
既存の植え付けられた価値観よりも
自分の軸で判断できる人なんですよね。
そして、それは間違ってなくて
ワクワクするものだから。
hanaって何者?とか疑うよりも、
『絶対こっち。』
『理由はわからなくてもこっち!』
と思う時は、
その感覚に間違いないよって言いたいです。
何かがないと信じられないのは、
自分の感覚を信じてないみたいです。
結局、不安だから、
拠り所になるものを探してる。
信じるには証拠が必要
というのも刷り込みの一つで、
小さい頃は違ったよね。
子供にもこの人は恐いとか、安心とか、
嗅ぎ分けるセンサーがあるように、
そして、それは大抵正確だったように。
これまでの経験から、
感覚的に『この人がいい!』と感じた人と、
肩書きで信頼できると選んだ人とでは、
どっちがしっくりきましたか?
友達を作る時、
肩書きよりも重視するのは
感覚じゃないですか?
その人に触れて、その人の世界観に浸る。
エネルギーをもらう。
それは、なりたい自分に近づくことになるんです。
人は、付き合う人の影響を受けます。
類は友を呼ぶは本当です。
あなたは惹かれる人と
過ごした方が幸せを感じるでしょう。
これは、思考での判断とは違います。
思考は使う場面を間違えると、
迷いや混乱を引き起こすことが多いです。
思考の判断が適する時と
感覚に従った方がうまくいく時があって
人との出会いで感じる第一印象は大抵当たるし、
誰といるかを選ぶ時も感覚の方が正確です。
なぜかと言うと、答えは簡単で
感覚は一次情報で加工なしの情報。
思考は、それを基に加工することだからです。
純粋な感覚には嘘がない。
軸がぶれそうになった時に、
元に戻してくれる場。
場は人が作るものだから、
hanaの世界観が好きな人は、
この場の周波数が合ってる人です。
未来型を選んだ理由
ちなみに私は、未来型に入ることを
千聖さんの文章だけで選びました。
その時、『この人だ!間違いない!』
って思いました。
その勘は当たっていて、大正解でしたよ。
竹川さんに出会えたのも、それがきっかけです。
そうしたら、竹川さんとは
小学校も中学校も高校も一緒だったという
驚きのシンクロニシティが待ってました。
未来型を選んだ当時、
私は千聖さんのことを
ほとんど何も知りませんでした。
ちなみに千聖さんは、未来型で
コンサルのお仕事をされている方です。
本名も顔も、出身校も職歴も実績も、
考えてみたら何も知らない。
肩書きも資格もない。
京都在住で、結婚されていてお子さんがいる、
というくらいでしょうか。笑
だけど、感覚は間違っていなくて、
コンサルタントとしても、
分かりやすく導いてくださるし、
質問にも丁寧に答えて頂ける。
人間的に、とても信頼できる方で
大好きな人です。
普通に生活してたら、絶対に会えなかったし、
いたとしても表面しか見えない社会の中では、
どんな人か分からなかったと思います。
千聖さんのお人柄は、
文章のまんまでしたよ。
これは、実際にお会いしての感想です。
出会えたのは、
千聖さんが発信してくれていたから。
こういう感覚はやっぱり間違いないです。
これはもう、自信があります。
疑ったらきりがないけど、
勇気を出して信じることから
道は開けるのだと思う。
自分でブログを書くようになって
分かるようになったことが一つあります。
文章には人柄が出ます。内側が出ます。
その時の気分も感情も。
ほんの少しの文章なら、
カッコつけられるかもしれないけど
日常的に書き続ける中では、
そんなことしてられないですよ。
疲れてる日も楽しい日も
イライラする日も悲しい日もあって、
それでも書いてると、気づかないうちに
意図しなくても勝手に出てるんですよね。
人柄。
文章なんて、何とでも書けるでしょ。
嘘もつけるでしょって言うなら、
日常的にブログを
書いてみてほしいなって思います。
書きたいことが次々に出てくる時もあれば
何にも浮かばない日もある。
計算だけで意図的に
できるようなものじゃない。
無理やり絞り出すように書く日は
なんだこりゃって
引っ込めたくなる記事もあります。
何となく伝わっているかな・・・?
・・・伝わってるね。
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興味がありましたら、登録してみてね。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございました。