劣等感と向き合うシリーズ2。

苦しくてたまらないというのに、

私たちは、なぜ劣等感を抱いてしまうのか?!

今回は、劣等感の原因が存在している、

無意識の世界に目を向けていきたいと思います!

劣等感の根っこにあるもの

劣等感は、何かを比較した時に抱く感情ですね。

ということは、何か比較の尺度になる価値基準が存在しているはずです。

私たちが苦しむのは、

「いつの間にか持っていた価値基準」で、物事を捉えているためとも言えます。

例えば、美しさの基準。

色が白くて、小顔で、目が大きくて、細身で華奢な体型、足は長くてスラっとしている。

いつの間にか、こういうのが美しいんだ、

こういう方が好まれるんだという基準を持っていると思います。

これって、誰が決めたんでしょうね?

別に、人それぞれでいいじゃないですか。

細い目の方が好きとか、細身より太めが好きとか。

こんな風に、「なんとなく」こっちの方が良い、

みたいな基準をいつの間にか、持たされていた。

そして、その基準から外れていると、

「私はスタイル悪いから、、」とか劣等感を抱く原因になっていたりします。

それは、小さいころに遊んでいた「リカちゃん人形」の影響かもしれないし、

テレビや雑誌、アニメに出てくる「キレイなお姉さん」への憧れだったかもしれません。

だとしたら、それって、誰か知らない人が作った基準ですよね。

意図的かどうかは置いておいて。

皆が同じような価値基準に染められていることも、

育てられる環境から受ける刺激が

同じようなものだからかもしれません。

ゴキブリは汚いもの。

けれど、世界には、ゴキブリを食する国もあります。

そんな風に、子供の頃から、いつの間にか身に着けていた

私たちの「常識」が、価値基準になっています。

だから、いちいち意識せず、「なんとなく」この方が良いと思っている。

(ちゃんとした理由も根拠もないってことね!)

その説明しにくい「なんとなく」の基準に振り回されている。

学校に行けば、集団生活の中で、

はみ出さないように生きることを学び、

人と違う事をすることに違和感を感じるようになります。

テストで良い点を取ることが「優秀」だと教えられ、

先生から褒められることをしたいと思い、

素直にいう事を聞き、宿題をきちんとやることが良い事と学びます。

(権威からの評価が重要という思い込み)

そして、時間通りに動き、静かに座って、

求められている行動をすることが正しいことと教えられる。

こんな風に、幼少期から身に着けてきた「価値基準」で物事を見ているということ。

このことに気が付かないと、

自分が持っている「価値基準」を見直すことはできません。

多くは、幼少期、思春期という未熟な時期に身に着けていますから、

理由も分からないまま、大人になっても強い影響を受けています。

本当に大切な事は何なのか。

自分が心の底から大切にしたい事は何か。

こういうことを考え、「自分なりの価値基準」を確立していくと、

大切な事とそうでない事を振り分けて考えられるようになり、

不必要に自分を縛り付けていた劣等感も

実は、「他者からの評価を重視する」価値基準のせいだった、と理解出来たりします。

じゃあ、なんで?

学校で、先生に賞賛されて嬉しかった経験があったからとか。

そこまで具体的ではなくても、「なんとなく」のこと

気が付けるようになり、

それは、本当に大切な事なのか?と確認できるようになります。

自分の心の声を聞くこと。

本当に大切な事を知っているのは、あなたの心です。

大切にしていることは、自分に残ります。

財産を大切にすれば、財産が残り、

家族を大切にすれば、家族が残り、

友人を大切にすれば、友人が残り、

というように。

今回のお話しはここまで。

次回は、劣等感と関係の深い

「自分なりの価値基準を持つことについて」書いていきます。

お読み下さり、ありがとうございました。

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