勝ち負けの意識に囚われてるうちは、まだまだだね!

こんにちは、hanaです。

今日は、なんのために生きるのか。

というような、少しシリアスなお話しです。

でも、気楽にお過ごしくださいね。笑

人と比べるという思考回路が強化された状態

優劣、勝ち負け、比較、競争。

こんなものに晒されて育つせいなのか、

無意識のうちにこういう価値観で人を判断する、

自分と他人を比較する、

こういう思考回路を持つ人は、とても多い。

とても。

こういうものに出会うたび、

「なんか、違うんだよな。」

という違和感が出てきます。

切磋琢磨していくなかで

良いものに出会い

「ああ、素晴らしいな。」

と思うかたわらで、

自分なんてと落ち込む

本当は自信のない人は

多いのではないかと思う。

私もそう。

自信なんてない。

けれども、この自信のなさ、ダメさ

を素直に受け入れて認めると、

人からダメ出しされたり、

バカにされたとしても、

そうだね。

知ってるよ。と思う。

それは卑屈な気持ちとかではなくて、

そこがいつも出発点。

そして、バカにする人や

凄さを見せつけている人を見ては、

本当はこの人も自信がないのだなと思う。

外からどう見えるかは別として

意外と自信のない人は多い。

それは、比較、競争という価値観を植え付けられて育つと

物差しがそうなってしまうから。

気づいて修正しないと、そのまま。

上をみたら、キリがない。

1番であり続けることを目指すと

限界まで頑張って、

終わりを迎える。

決して現状に満足しない姿勢が

かっこいいかのような

確かにそういう側面もあるとは思う。

何かに真剣に打ち込んでいる姿というとのは

輝いて見える。

ただ、少し斜に構えた目線で見ると、

そこに欠けているものが、

私は気になってしまう。

それはどこかせき立てられるかのような

不安や焦燥感がベースにあって、

休んだら追い越されるかもしれない。

ライバルは今ごろ・・とか。

なにか、いつも落ち着かない。

動かないではいられないような。

これがなくなったら、

自分には何もなくなってしまうというような。

恐怖感めいたものが

活動の原動力になっているようなことを

感じることがある。

この中に、本当の幸せはあるのだろうか、、と。

人から称賛される喜び、

認められるということは、名誉なこと。

ただ、他人からの評価を求める中に

安住の地はない。

向上心という言葉があるけれど、

そもそも、目指すのは上じゃなくてもいいんじゃないか

何の上なの?と考えたら、

それって、多分、

負けたくないと感じている誰かの

上なのではないか。

そう考えたら、重要でないと感じた。

他者の評価に惑わされない価値観の持ち主

人からどう思われても構わないと

思っている人は手に負えないという。

誰かに容易く転がされることがない。

だからこそ、信頼できると感じさせられる。

自分の価値観で生きている。

自分が自分の主人であるということの手本は、

昔の武士の生き様に垣間見える。

幕末に、山岡鉄太郎(鉄舟)という剣士がいました。

彼は、敵陣に共を1人だけ連れて

「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」

と叫びながら歩いて突破し、

西郷隆盛と面談し、江戸城無血開城への

奇跡的な道を開いた人物です。

本当に大切にしたい

目的があるからこそ出せる気迫。

命を捨てても構わない信念を持った生き様。

このようなものが武士の在り方だったなら、

このような生き方ができる人は

現代にどれだけいるのでしょうか。

ただ、やたらに命をかければ良いというものでもなく、

戦わない、犠牲者を少なくする。

本当に大切にしたいものもまた

命であることを

知っていたのも武士だったように感じます。

そして、彼らはきっと、

たわいない日常を愛していたと思う。

そんな中に存在する

幸せを大切に感じること。

足るを知る。

ありのままを受け入れる。

こういう母親が子供を

ありのままに受け止めるような感性の中に

ホッとする感覚や

今を楽しむ気持ちが生まれて、

自分も他者も

弱さも含めて受け入れるという中に

優しさや思いやりが生まれ、

相手を知り

受け入れる気持ちが育まれる。

本当に守りたいもの

大切にしたいものは、

こういう温かいつながりであり、

笑顔であり優しさをくれた人達。

だから、命を懸けるからこそ、

無用な戦いはしない。

無用な血は流さない。

という姿勢が根底にあった。

「人が平和に仲良く暮らす社会を守る」という、

言葉にすると、

その辺のポスターに書いてある

ただの綺麗ごとのようだけれど。

とにかくそんな使命を持ち、

いざとなったら戦いの最前線に出ていくからこそ

感じる命の尊さ。

私利私欲とは

真逆の価値観がそこにはあった。

自分が勝つためにではない。

自分が守りたいもののために。

という価値観。

これは、他者の評価を気にし、

競争に勝つという価値観では持てないものだなと思う。

だから、何が言いたいかと言うと、

あなたが誰かに負けて落ち込んだとしても、

自信がなかったとしても、

「そんなの本当はどうでもいいことだよ。」

と言うこと。

本当に大切にしたいことは、

誰かに勝つことではないはず。

あなたがあなたらしく幸せに笑顔で過ごせること。

そのために、何を大切にしたいかを

自分の胸に手を当て感じ取ること。

そこには、人を大切にしたい気持ちや

何かを成し遂げたい想いや

自分が魂から笑顔になれる何かがある。

だから、

他人の評価に振り回されなくていい。

もしも、誰かに失敗を馬鹿にされたなら、

「私が大事にしたいのは失敗から学ぶこと。

失敗した人の気持ちが分かるからこそ、

私は、人を馬鹿にしようとは思わない。」

と、はっきり言ってみたらいい。

本当に強いのは、

自分のためじゃなくて

誰かのために生きられる人。

その中には自分が大切にしたい信念があり、

それが自分を大事にすると言うこと。

いまの世の中は窮屈で生きづらいね。

ここに来てくれてありがとう。

それでは!

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