人は強そうに見える人に
なんとなく同調したり
肩書きとか地位を気にして忖度したり
何かの思い込みによって
相手を見るということを
当たり前に行ってしまいがちです。
それはごく普通のことだから
意識すらもしない
そうしていると指摘されれば
そうかもね。
という程度のことかもしれません。
だけれど、そのことに気づくと
自分の見方について客観的に捉えて
本当は正しく見えてなかったかもしれない
という可能性に
気がつくことができます。
それは、とても大切なことで
自分ではできているし
分かっているつもりだったことが
実は違った
誤解していた
このことに気づけると
視野が広がり
別の視点から見ることができる。
私自身も知らないことだらけだから、
いつもいろんなことから
学ばせてもらっていて
終わりなんてないのだと思う。
思い込みの目で見ていた時には
分からなかったことが
見えるようになることは
胸が痛い時もあるものですが
それも大切な学びの一つで。
穴があったら入りたい。
あー、思い出したくない。
と。
思えるのなら
まだ良いのかもしれません。
そんなことに目をつぶる人もいます。
自分が1番正しいという思い込みは
誰もがはまりやすい
落とし穴みたいなもので
気づいた時にはすでに遅し。
という感覚に陥る。
けれど、人生の中では
ありがたいことに
やり直しができることが多い。
そして、人は忘れやすい生き物。
気づいたときが学ぶとき。
それで良いのだと思います。
誰にでも失敗はあるから
穴があったら入りたい気分の時も
「どんまい。大丈夫だよ。」って、
責める代わりに優しく受け止めてみる。
誰だって失敗する。
胸の痛い思いを知ってるから
誰かの失敗にも寛容になれる。
人を攻撃するのは意外と簡単だけど
それは、ただ自分の愚かさが
見えてないだけかもしれない。
自分のダメさを見つめる事に
蓋をしているからできてしまうこと。
本当に深く
内側を見つめている人は、
誰かを責めたりできない。
自分の無力さを知っているから。
個人個人は確かに小さな存在で
宇宙の塵にもならないかもしれない。
それでもね、
自分の力を舐めてはいけないと思うんです。
なぜなら、自分がどう思うかで
世界の見え方は変化するし
小さな1人から始めたことが
いつも、全てのはじまりだから。
自分を馬鹿にして信じない心が
どうせできない。力がない。ダメだ。
と思う心が、そんな世界を作る。
選挙に行ったって変わらない。
私というたった1人の人間が選挙に
行ったって行かなくたって
結果は変わらないって・・本当?
それと同じ考えが波及して
何百人何千人が同じようにしたら
どうなるだろう。
今、選挙に行っていない
約半分の人たちが選挙に行くようになったら
この国は変わるかもしれない。
関心を向ける人が増えたら、
自分事として考えていたら。
これ、国政選挙の投票率。
総務省のホームページから見つけたもの。
昭和42年には、国民の約3/4が選挙に行っていた。
令和3年には、約半分になってる。
思考は伝わっていき
お互いが影響しあってる。
政治のことは政治家に任せておけばいい。
そんな意識が何を作り出したのか。
国民の意志が反映されなくても
誰も何も責任を取らない。
責任者不在の状態は、
個人の意識から生まれてる。
これが現状ではないかと。
自分には大したことはできないからと
自分という個人の力を信じない状態。
自分1人くらいという
その小さな思考が周りに影響してること
それがどんな波及効果で
現実世界に反映されてるかを
自分ごととして胸に手を当てて
世界と自分とのつながりを思い出したら
本当は他人事じゃないってことが分かる。
政治は集合意識が強く影響するから
マスコミの誘導に注意を払わなければならない。
今回の選挙、どの政策に注目しますか?って
アンケートの結果をテレビで放映してたけど
憲法改正ついてと答えたのは、たった2%だった。
ほんの少し調べるだけ。
分かると思うけど、
私だって別に何も詳しくなんてないよ。
ただ、ほんの少しでも
関心を持って調べるだけで見方って変わる。
思考の力を侮ってはいけない。
思考は使う言葉の影響を受ける。
ひとりひとりは
小さくて弱いかもしれないけど
1人から始めることが大事で
その1人が自分の思考に注意を払って
そのことに意識的になることで
それは目に見えないところで広がっていく。
使う言葉に意識的になる。
言葉自体にも力があるけど
使う人の意識で
言霊は強まったり弱まったりする。
それは、それぞれが使える力で意識の乗せ方によって
そして、信じる度合いによって影響力も変わる。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございました。