
こんにちは、hanaです。
毎日、蒸し暑いですね。
今日は、仕事が遅くなった上に、
事務所で同僚の結婚話を聞いてたら、
さらに遅くなってしまいました。
マッチングアプリでの婚活という、
経験したことがない世界の話が面白くて
ついつい、聴き入ってしまった・・。笑
そのうち、機会があったら書こうかな。
同僚の婚活、とても大変だったようで
よく結婚に辿り着くパートナーを
見つけられるまで頑張ったなと思いつつ、
魅力はあるのに、自信が持てないことで
苦労してそうにも見えたことがあって。
なので、今日は命の価値に結びつく話にします。
多くの人に必要で、足りてないもの。
多くの人に必要で足りてないもの。
それは、無条件に価値があるという
真実について気づいてないことだと
感じることがあります。
何かを達成しなければ
優秀な成績でなければ
仕事で功績を残さなければ
高い記録を出さなければ
もっと綺麗にならなければ
お金がたくさんなければ
有名にならなければ
多くの人に認められなければ
賞を取らねば
数え出したらキリなく出てくる。
じゃあ、たとえば、
お金がなくなったら価値はなくなるの?
賞を取り消されたら?
記録を他の人に更新されたら?
みんなに忘れられてしまったら?
綺麗でなくなったら?
何も達成できなかったら?
仕事で失敗の連続だったら?
誰にも認められなかったら?
これ、全部外側の基準なんです。
小さな頃から、周りを見回して
大人の顔や友達の顔を見て
この方が認められるんだ
いいことなんだって
いつのまにか思わされて、取り入れたもの。
その方がいいっていう思い込みの幻想なんです。
そこに囚われる気持ちすごく分かります。
私も、そう感じてしまう方向に
引っ張られそうになることがたくさんあるから。
けどさ、何かを持ってても
何も持ってなくても
「私」という存在に大差ないんだよね。
「私」は、何かを持ってても持ってなくても、
誰かに批判されても、褒められても、
多分、昨日と同じような1日を過ごしている。
お金持ちでも貧乏でも
賢くても、そうでなくても、
人気者でも嫌われ者でも、
ご飯は必要だし、寝る場所も必要。
この部分を他の言葉に置き換えても同じで。
「私」がこの世に存在するたった一人の「私」で、
ただ生きていて、ただそこに居る。
たったそれだけのこと。
この真実にどれだけの価値があることか。
考えてみたことは・・・?
役に立っているとか、立っていないとか、
そんなこと自分では決められなかったりします。
あなたが役に立ってないと思っていても、
誰かはあなたに感謝してることがあります。
見えにくいけど、必ず繋がっているし、
そうでなければ、生きていないから。
あなたがご飯を食べてくれることで、
ご飯を作ってくれた人は喜んでくれるし、
農家さんやスーパーの人にも貢献してる。
人に迷惑をかけてるかもしれないことが、
人の役に立っていることもある。
誰かにとっては、
あなたの役に立てたことが喜びになっている。
生きていること、
命という存在のもつ尊さを信じられたら、
もっと、自分を好きになれるかもしれません。
小さな自分でなく、
もっと広い視点、もっと高い視点で見てみる。
「個」ではなくて、「全体」という視点で見る。
それは、「自分」という小さな意識に囚われると
理解しにくい事かもしれません。
視点を上げて眺めると、
生きている姿は、尊いものです。
そして、人に何かをしてもらう役割は、
自我よりも高度な意識で見つめた時、
社会貢献の一つの形であるという事実があります。
病気の人がいるから、医療が成り立つように、
困っている人や助けられる人という
役割を担ってくださる方がいることで、
生まれる仕事もあります。
赤ちゃんを育てることは大変だけれど、
世話をされるという役割を担う事で
赤ちゃんは、人に喜びを与えてくれてます。
子供は3歳までに一生分の
親孝行をするとも言われています。
純粋に愛を受け取って喜ぶことで、
お返ししてくれている。
一見すると、
親が子供を愛しているように見えるけれど、
実は親の方が子供から愛を注がれていて
様々な学びを頂いています。
あなたという命が生まれてきたこと。
形を成したエネルギーとして現れてくれたこと。
どんな役割を担おうとも、
生まれてきた時と今と
命の重みは少しも変わらないです。
ただ、そこに居てくれてありがとう。
居るだけで尊い存在、
それが命であり、それがあなたです。
誰かに好かれたとか、嫌われたとか
そんなこと関係ないです。
個人的なニュース
個人的な出来事なのですが、
幸せなニュースがあります。
なんと、妹に4人目の子が生まれました!!
この少子化の時代に貢献してくれている。
いや、そんなつもりも特にないのだろうけど。笑
産後に会いに行って
赤ちゃんを抱っこさせてもらったのですが、
やっぱり新生児は特別な可愛さがあります。
ふにゃふにゃで壊れそうで、
もう、赤ちゃんの抱き方も
忘れてしまっていたのですが、
なんとか泣かずに抱っこさせてもらえました。笑
お腹にいる時は、サマディの状態だと
どこかに書かれていたことをふと思い出しまして、
(サマディというのは、
瞑想を極めてたどり着く状態です。
悟りの状態を表わす意味で使われることもあります。)
その状態に近いためなのか、
書籍の写真で見たサマディにある聖者の表情と
赤ちゃんの微笑んだ寝顔がそっくりで驚きました。
『あ、この表情は・・・!!』と。
こんなことを考える私って、
ほんと、変な人だなと。・・・笑
妹もいい年なので、
命がけの大変な出産を乗り越えて
無事に生まれてくれたことに本当に感謝です。
会いに行った時には、
まだ名前がついてなくて
帰り際に母が
「またね、名無しちゃん!」と
さらっと言った一言が可笑しくて。
誕生というのは、やっぱり嬉しい出来事ですね。
もうすぐ学校も夏休みに入るので、
また、会いに行こうと思います。
新しい命がどこかで生まれる度に、
時代がまた一つ先に進む・・・
そんな感覚があります。
地球のどこかで、
今日も新しい命が生まれている。
そして、この世を去る命も。
少しずつ、新しい時代に変化している。
地球が光あふれる美しい星であることに感謝します。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございました。