
私が恐れてきたこと。
無意識のうちに恐れていたこと。
それは、他人からの嫉妬だったと知った。
読んでいてお分かりの通り、
私は取り立てて何か優れているわけじゃないです。
人は、自分とは程遠いものには嫉妬しない。
だけれど、自分と同じくらいの人が
何かおかしなこと・・・
自分が経験した事のないことや
未知の新しい挑戦をし始めると
嫉妬したりすることがある。
というのも私自身、嫉妬されてるなんて
思ってもいなかったのだけれど、
たまたま見ていたYouTubeで
嫉妬についての解説を聴いていたら
自分がされてきたことに
ものすごく当てはまっていて
当てはまりすぎていて
気づいたら涙がボロボロこぼれていた。
ああ、そうだったのか。
過去の出来事に対する理解ができたことで
気持ちが楽になったので、
同じようなことに悩む人のために
ここに書き残しておきます。
嫉妬してる人がする質問
嫉妬してる人がする質問には
次のようなものがあるそうです。
「それ、大丈夫なの?」
それは、元の場所に引き戻そうとする言葉。
「その根拠は?」
それは、不安にさせる質問。
「それ、誰が言ってるの?」
それは、自分を信じられなくさせる言葉。
もちろん、この質問をする人のすべてが
嫉妬していると言いたいのではなくて、
それは、相手との関係性や文脈、
表情や話し方、場の雰囲気など、
意図を感じ取らなければならないし
純粋に知りたくて聞く場合もあるから、
決めつけるとかではないです。
ただ、質問という形をとった
「否定」はあるし、
その場合の意図は引きずり下ろしたいとか
変化させたくないという気持ちが
そういう質問となって現れることがあるということ。
私は、ただ不安になっていて、
自分が不甲斐ないからだと
勝手に自分の中に原因を探していたけど
この場合は、そうじゃなかった。
自分を正当化しなければならなくさせる
「正しさ」を追求する質問の数々。
説明しても納得してもらえない状況。
それは、私に無力感を感じさせた。
だけど、知れてよかったことは、
相手には説明を聞く気持ちなど、
最初からなかったこと。
相手はただ、私の変化を拒んでいたこと。
その原因が嫉妬だったのか・・・。
嫉妬がそんな形で表現されることを
私は知りませんでした。
それは、発する人が抱えている
不安や焦燥感、寂しさ
そういうものが原因だったこと。
それが分かって、
何か、吹っ切れた気がした。
そんなことに引きずられなくていい。
私は私らしく生きていい。
自分の好きなことを選択していい。
誰かに遠慮して自分を小さくしなくていい。
成長しているから、変化していくから
それを見て不安を感じる人もいる。
一方で変わらず応援してくれる人もいる。
なぜ、いちいち気にしなければならない。
何も悪いことをしてるわけではないのに
好きなことをしているだけなのに
もし、同じようなことに
苦しむことがあった時には、
相手の問題だから引き受ける必要はないと
お伝えしたいと思います。
私は、そんな風に思わされてきたことを
多分、抑圧して見ないように
考えないようにしてきたのだろうと思います。
けれど、それは原因のよく分からない
恐れとして自分の中に残り、
無意識のうちに嫉妬を恐れさせ、
必要ないのに自分で行動を制限していた。
抑圧は、したことにも気づかないことがある。
自分を守るために。
「心配するのは、信じてないから」
そんな風に言い換えることができてしまうこと。
そんな悲しい事実に、蓋をしてきた。
だから、涙が出てきた。
信じてもらえないことは悲しいことだから。
相手が私のことを知らなければ
信じてもらえなくても仕方ないと思える。
人は、何をもとに人を信じるのだろうか。
権威があること?
有名だから?
何か客観的な証拠がいる?
科学的根拠?
世の中の多くの人がそういうものを
信頼に足ると信じている。
今、私は知ってる。
私に問題があるのではないことを。
私が裏切るようなことをしたから
信じてもらえなくなったのではなく、
相手の中の不安がそうさせているだけだと。
人は、権威を欲しがる。
信じる理由をなにか見つけたがる。
だけれど、特に権威がなくても
友達のことを信じられる。
親のことを信じられる。
それは、見てきたから。
その人がどんな考え方で
どんな想いで、どんなことをしてきたのか
それを知っているから。
だから、信じてもらえてないって
頭が理解してしまった時、
私は悲しかった。
嫉妬なんてくだらない。
そんなものどうでもいい。
相手の中の不安は、
私のことも不安にしていた。
この経験からも、
感情は連鎖していくことを感じました。
たとえ、不安や嫉妬を自覚していなくても
それは、伝わっていきます。
感情の変化に気づくことの大切さ。
それは、自分のためでもあり、
大事な人を不安にさせないためでもある。
精神的に自立するとは、
自分の負の感情を
相手に背負わせないことでもあり
そのために、自分と向き合うのは必要なこと。
私に問題があるわけじゃないことが
理解できたから
もう、不要な影響は受けずに済むでしょう。
また一つ、心の荷物を降ろすことができ、
心を守ることができるようになった。
自分の弱さと向き合い、
自分の負の感情を見つめること。
それができることは、
身近な人を守ることにつながる。
自分に発生した感情は自分の中に原因がある。
だから、それを見つめる。
不安になる質問に反応して
不安を感じたのは自分だった。
それは、相手の感情に気づかずに
受け取ったからでした。
もっと、勉強しようと思いました。
いつまでたっても、終わりがないけど。
頭の理解だけでなく
体験を通した理解は奥深くに浸透して
忘れることがありません。
信じてくれる人を大切にした方がいいと
教えてくれた人もいました。
私も、そうだと感じています。
表面だけ取り繕って合わせてもらっても
本質的に違っていることは見えてしまう。
それは、ただ説明して
埋まるものじゃないことも。
負の感情と向き合った人が見る景色は
向き合っていない人には見えないです。
それは、どちらが上とかではなくて、
ただ、数学のある問題の解き方を
解いたことがあるから理解できるとか、
それくらいの違いでしかない。
けれど、見える景色は変化します。
負の感情を見つめた後の景色は
抑圧したまま放置した景色よりも鮮明になる。
見えやすくなった分だけ、
気持ちの整理がしやすくなって
辛く感じることが減らせてよかったです。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいましてありがとうございます。


