変わってるねと言われる特徴に、秘められている可能性について。

こんにちは、hanaです。

今日は、山の中で感じてたことを

朝ごはんを食べた後に

のんびりしてた時の独り言メモから

書かせていただきます。笑

ところで、あなたには、

多くの人と違う特徴がありますか?

好きになれないところはありますか・・?

別に、優れてなくていいです。

ただ、変わってるねって言われるようなこと。

実は、そんなところに

あなたの役割や才能が

かくれているかもしれないというお話しを、

hanaの場合を参考例にして、してみたいと思います。

一見、何の役にも立たなそうなhanaの特徴

ウッドデッキにある椅子に腰かけて

ただ、ボーっと近くにある

モミの木を眺めていました。

私は、そんな何もしないで

ただボーっとしている時間が好きなんです。

ただ、座ってボーっとしてる。

昔から、いつの間にかそうなっているから

特にそうすることの理由もなく

何故そうなるのか自分でもよく分からない。笑

こんなことを書くと、いつもボーっとしている

アホみたいなのですが。笑

ただ、思うことは、

こんな一見おかしな特徴は、

実は、瞑想してる状態に近いということです。

知らず知らずのうちにしているんですよね。

考えてる時もあれば

何も考えてない時もあって

ただ、それが心地よくて

刺激の少ない静かな時間にホッとする。

しようと思ってしてるのでもなく、

これが私にとっての日常なのです。

そして、頭の中ではこんなことを考えてます。

今、目の前にあるモミの木は、

ただそこに居て、静かに私と空間を共有してる。

何も言わないモミの木。

こちらを見るわけでもないけど

多分、私のことを何かの方法で感知していて

でも、何も変わらずただそこに居る。

モミの木にとっては、

長いことそこに居ることが生きることで

長い長い時間の中で

私がいる時間はほんの一瞬なのだろう。

ただ、変わらずにそこに居るというだけで

変わらずに受け入れてくれる感じがして嬉しい。

飾ることもなく、気を遣うこともなく

嫌がることもなく、ただ、変わらず居てくれる。

私が居ても、居なくなっても、

動いても、動かなくても、

声を出しても、出さなくても気にしない。

植物をみていて癒されるのは、

何かを強いることもなく

期待することもなく

ただそこに居るだけという、

人間にはあまりない特徴のせいだろうか。

・・・こんな風に、

ただモミの木を見てるだけなのですが、

いつのまにか、その特徴を分析したり

しているんですよね。笑

変わってますが、これが私の特徴なのです。

自分の特徴は捉えにくいもの。

こんな特徴のせいか、

何もしてない時間が苦痛というのが

私にはほとんどないのですが、

それが自分にとっては普通のこと過ぎて、

何もせず、ぼーっとする時間が

なぜ心地いいのか、なぜホッとするのか

よく分からずにいました。

自分のことって、当たり前になりすぎていて

見えにくい事があります。

この時間を大切にしたいから

人と離れたいと思うほど

マイペースな自分はおかしいのかとか

たまに、感じなくもないです。

他の多くの人達は、

誰かと一緒に過ごすことを好み

何か刺激的なことを探して夢中になり

何かを追いかけてるような・・・

そんな風に見えたりするのも、

「違い」があるからだったのですよね。

人と違う部分を自分なりに受け止める。

他の人は、なんで賑やかなことが好きなのか

感覚が違うので、いまいちよく理解できない。

私はそういうところは

遠くで見ているくらいが丁度いいんです。

人とつながることは大切だし

人が嫌いというわけではなくて

むしろ好きなのだけど

そんなにいつも誰かと一緒にいなくていいなと。

そんな自分は

何か大切なものが欠けているのでは

周りの人と比べて、どこかおかしいのだろうか

と思ったこともありましたが、

ただ、違うだけで

そのことで誰かに迷惑をかけてはいないと思うし

独りが好きな人もいるんですよね。

人と違う特徴があると、

おかしいのかもと思わされるこの思考も、

きっと、学校教育で育まれたもの。

そんな人間を理解する人は

世間にはあまりいなくて、

変わり者と思われたとしても

そんな静かな時間を大切にしたいのは、

自分を大切にしているからかもしれないと思いました。

人との違いの中にある強みを見つける。

刺激によって動揺しやすいこと

大切にしているものを脅かされる気がすること

集団でいることに疲れやすいこと

そんな特徴を裏返してみると、

静かにしていることで、少しの変化に気づき

人々の気持ちの変化を感じ取ることに集中できる。

全体の流れを冷静に俯瞰して分析している。

集団の中で何が行われているのかを

感情に巻き込まれずに観察する。

そんな立ち位置にいることができる。

孤独を受け止めている立ち位置なのです。

全体が良い方向に流れるには

何がポイントになっているのかとか

良い方向に進むにはどうしたらいいのかを

静かに見守りながら観察するのが

意図せず無意識レベルでいつの間にかしている

ことだったのだという気づき。

輪に入らないのは、

冷たさや暗さからではなくて、

感情が揺れ動きやすいので、

冷静さを保つために距離を置きたいと、

奥深くで感じていたため。

私の場合は、そんなことを大切にして

外側の世界を観察する中で得た小さな気づきを

自分の内側深くで咀嚼する。

それが社会のために役立てられるのでは、と。

そのように考えていくと、

ボーっと何もしてないように見える時間は

実は心の奥の方で

大切な作業をしていたとも考えることができます。

人は一人一人みんな違うし、

それが自然でいい。

私は人の中に混じらずに

観察することや感じることから

自分の内側に何かを育むという

この風変りな特徴を活かすこと自体が

役割につながっているのかもしれません。

人と違うことは、見方を変えると宝物の可能性がある。

それぞれに持ち場があって

それぞれに必要を満たしながら

支え合って生きています。

私も例外なくその中にいるのだけど

同じような特徴の人は少ないです。

圧倒的に少数派、つまり変わり者です。

それぞれに、生まれた時の星の配置が違うように、

魂にも役割や使命に応じた特徴が記されていて、

才能として分かりやすく開花する人もいれば、

それは、時に社会の中で受け入れられにくい

「変わったもの」に見える可能性もある。

なので、それが周りの人から少し変だと思われても、

自分のことを否定せず

無理に変えようとせずでいいんじゃないかなと。

そういう人は、良い意味で

個性的で面白いと思います。

そういえば、小学生の時に仲良くなった

同級生の女の子は集団を外から眺めてる子でした。

話しかけてみたら、

明るくてはっきりものを言う面白い子でしたよ。

あなたにある少し変わった特徴も、

どうか受け入れて大切になさってください。

そこには既存の価値観では見つけられなかった

宝物が隠れているかもしれません。

今回は、hanaの場合を書いたので、

あなたの場合も考えを巡らせてみてくださいね!

それでは、今日はこの辺で。 

お読みくださいまして、ありがとうございました。

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