相川圭子氏の書籍から八正道についてまとめています。
今回は、正命についてです。
ここまでの復習を簡単に。
八正道とは、
正見、正思、正語、正業、
正命、正精進、正念、正定から成り、
段階的を追って理解を深めていくこと
が書かれていました。
【正見】
ただ、見るということ
あるがままに見る、ということ
とらわれずに見る、ということ
八正道と正見については、こちらをどうぞ。
【正思】
過去にも未来にもとらわれない
ただ、「今にいる」ことができる
正思のまとめはこちらです。
【正語】
愛のある純粋な言葉で
思いやりを持った「愛語」
心からの、嘘のない言葉
愛語を口にするように
正語のまとめはこちらです。
【正業】
殺さず、傷めず、強いず、偏らず
心を、体を正しく使う
正業のまとめはこちらです。
それでは、今日は、正命について見ていきましょう。
【 正命 】について
人を幸せにする生業を
愛を積む生活を
(相川圭子 八正道より)
前の「正業」、すなわち「正しい行動」と似ていて、
重なる部分もありますが、行動を含むさらに大きな枠組みが
「正しい職業」であり、「正しい生活」です。
人は、この肉体を維持し生き抜いていくために、
住む場所を確保して、食べる、寝る、動くなど、
様々な行為をします。
そのためには、お金が必要であり、現代人の多くは、
仕事を得て、日々さまざまな体験をし、成長しています。
ー中略ー
日々の行動のすべてを正しく行って、
真の幸せと悟りを目指すのが「正命」、つまり「正しい生活」です。
「正しい」というのは、心や体が落ち着いていて、パワフルで愛に満ち、
不安や恐れなどがない状態を維持するための、というような意味です。
相川圭子 八正道 p124より
正命は、職業や生活全般を指し、
何に時間を費やし、
何をして生きていくのかというような
イメージでしょうか。
心や体の安定、パワフルで愛に満ちていること。
不安や恐れがない状態を維持するための営み。
これらは、環境による影響も
色濃く反映されるため、
仕事の内容や職場環境なども大切に
なるのだと感じます。
このようなことを実行することは、
一人の努力だけでは
なかなか難しいことですね・・・。
ヒマラヤ聖者が山に籠って修行することの意味は、
それに適した環境に身を置く必要性を
物語っているかのように感じます。
相川氏にとって、山から降りて日本に戻り、
ヒマラヤ秘教の智慧を広めていくことは、
インドのように見えない世界を多くの人が信じ、
受け入れる文化が定着している国の中で伝える事に比べて、
相当な苦難を強いられることなのではないかと
思ったり・・・。分かりませんが。笑
このような記載がありました。
インドでは、聖者と一般の人の住みわけがすでにできています。
一般の人々は普通の仕事をし、
形のあるものをどんどん作っていきます。
形のあるものはいつか変化するけれども、
生活をするためには必要です。
神に仕える聖者は、神に祈り、
自分の内側を綺麗にする修行をします。
その聖者の生活を、一般の人が支えてあげます。
そして悟った聖者は、人々に真理を説いていくのです。
そうして聖者の道と世俗の道を分けて、助け合っています。
それが、インドに聖者を生み出す土壌がある
理由のひとつなのかもしれません。
皆のエゴが強まると欲の世界になり争いが起き、
世の中に救いがなくなってしまいます。
そういうなかに悟りを目指す人、
また悟った人や意識が高い人が現れると、
世の中のバランスがとれるのです。
相川圭子 八正道 p129、130より
社会生活は「魂の世界」ではなく、
「マインドの世界」です。
だからこそ正しい社会生活を送ろうとする姿勢が必要です。
それは無理だとあきらめるのではなく、
そこに愛と感謝を送り込み、安らぎと信頼をプラスして、
神聖な力が働くようにするのです。
相川圭子 八正道 p128より
社会生活は「マインドの世界」・・・。
確かに。
みんな目の前の現実に必死になっている。
それが、悪いとか言いたいのではなくて、
ただ、少しバランスが崩れているのかもしれません。
いろいろな種類の仕事がありますが、
人を傷つけるような行為につながる仕事をしないことです。
クリエイティブな仕事をします。
多くの生産活動は、人が生きるために必要なものを創ってはいますが、
なかでも、人の命を尊ぶ仕事をするのがよいのです。
自分を傷つけたり、心が落ち着かず疲れてしまったりする仕事も、
避けた方がよいでしょう。
世の中には、人をだますような仕事もあります。
迷ったときは、その仕事は人や自分を傷つけるものかどうか、
人の役に立つ仕事かどうか考えてみましょう。
相川圭子 八正道 p126より
自分の内側を浄めていくことを
社会生活の中でしていくこと・・。
そのことについて、次のように書かれています。
今の生活をしながら修行もするというのが、
ほとんどの人の現実的な選択になると思います。
それは、マイナス面ばかりではありません。
まわりにいる人たちの反応は、
自分を映し出す鏡でもあるからです。
いつもまわりの人のなかに
自分の姿を見ることができるので、学びが大きいのです。
相川圭子 八正道 p131より
厳しい環境が悪いのではなく、
その環境でこそ、磨かれるものがある。
どこを見ても、毒まみれの現代社会。
蓮の花のように泥の中で魂を磨く修行をすることは、
難易度が高いからこそ、
そこにチャレンジできるような
レベルの高い魂がこの時代に
生まれてきているのかもしれませんね・・!!笑
生活が純粋になることで、真理に出会っていく準備になります。
欲しいだけ物を手に入れ、
自由な時間を遊びや趣味に使っている現代生活は、
こだわりを強めていくのです。
楽に快適に生きるために物を手に入れているはずなのに、
実際にはこだわりを強め、
それに依存して不自由になっているのです。
遊びや趣味に時間を費やすとエネルギーが消耗して、
生命力を弱めてしまいます。
ヒマラヤ秘教を源流とする八正道は、
心をコントロールしていく生活を勧めています。
気づきを持って、何が重要かに思い至るのです。
何々をしてはいけないと聞くと、道徳の教えのようですが、
気づきを持ち、心をコントロールできる人になり、
自分の命を高めるものを選択するのです。
ヒマラヤ秘教は、
高次元の波動によって積極的にマインドを浄め、
その高次元のエネルギーとともにあることで、
悪い波動を引き寄せません。
そして、今にいてマインドのリアクションがなくなり、
人間関係が楽になっていきます。
相川圭子 八正道 p132,133より
便利になりすぎて、手放せなくなっているもの、
いろいろありますね。
いつの間にかスマホもそうなっているし、
面倒なことをしなくなって、
便利さと引き換えに、「こうじゃないと」
というようなこだわりが強くなっていたかもしれません。
足るを知るということも、
幸せを感じるには重要な要素だと感じます。
一方で、生活を楽しむという選択肢も
別に悪くはないし、
おいしいものを食べたり、
旅行して美しい景色に出会ったり、
そういうことも、地球に生まれてきて
味わいたいことだったかもしれません。
幸せの形はそれぞれにありますよね。
今は、我慢することや制限することを
良しとしない価値観の人が増えていて、
我慢せず、自分の欲を抑えずに
好きな事をしようという言葉に賛同する人が
増えていると感じることがあります。
そういうフレーズが
受けいれられているのを見ると、
それは、社会の中で感じるストレスが
過多になっていることの表れかのようです。
「もうこれ以上、我慢できない。」
これが、ストレスが鬱積した人々の本音なのかも。
そして、ストレスのはけ口として、
娯楽や趣味が推奨されてきた。
スイーツやイベントや遊園地。
みんなが夢中になり、お金を使うように
たくさんの広告が流されてきました。
私も、楽しい事は好きだし、
楽しむこと自体を否定する気もありません。
私も、その気持ち、よーくわかる。
やってられないと感じるくらいの世の中だよね。
一方で、相川氏の言葉から、
どのようなメッセージを感じるかと言うと、
そんな大変な世の中だからこそ、
生活の在り方自体のバランスを見直した方がいいよね。
ということなんじゃないかなと。
こんなにストレスが溜まってしまうのは、
外側の世界ばかりに心を奪われてしまうことで、
知らないうちにエネルギーを消費している。
それは、娯楽に限らず、
人間関係や仕事についても。
幸せを感じるために必要なこと。
それは、もっとシンプルなものなのかも?
それは、移ろいやすい心を
満足させているだけではないか・・?
魂の本当の望みはどのようなことだったのか・・?
本当に大切なこと・・
目の前に見える、目まぐるしく変化する
外側の世界に振り回されていないだろうか・・?
楽しむことがどうだと言いたいのではなくて、
なんのために生まれてきて、
どのように時間を使うのかということに、
意識的になれているか・・?
迷子になりそうな社会の中で、
内側を見つめ、不動の場から見つめ続ける
相川氏の言葉。
ここから学び取れることは何でしょうか・・?
これを絶対的な言葉として
ただ、受け入れるのではなくて、
自分の中で咀嚼して吟味していくことが
大事なのだと思っています。
ただ、信じているという状態・・
テレビの情報でも大学教授のような権威の発言でも、
単純に信じ込むということの怖さは、
これまでも感じてきたことなので。
自分で意識的に判断していくこと。
気づきをもつこと。
サマディマスターの智慧と祝福により、内側が浄化されると、
とても生きやすくなります。
ヒマラヤ秘教に祝福された八正道の修行をしていくことで、
あなたは変容し、「今にいる」ことができるようになり、
エネルギーを消耗させることもなく、
平和にいることができるようになります。
とても深くくつろぐことができ、
生まれる前の純粋な状態を体験することもできます。
そうしたエネルギーの状態を体験することで、
本当の意味で変わることができるのです。
あなたはそうした体験の記憶を抱えて、
まるで生まれ変わったかのように新しい行動をするのです。
それまでとは根本的に違った生活を送るようになります。
それは稀有な体験であり、
新しく生まれ変わって生きることが可能なのです。
相川圭子 八正道 p142,143より
正命の章はこの言葉で締めくくられています。
受け取る人によって、
解釈が全然違ったものになりそうです。
生まれる前の純粋な状態というのは、
カルマを解消し、浄められた状態のこと。
上記のような言葉は、
外側の世界しか見ていないと、
怪しげにも感じられるかもしれません。
一方で、高次元のことに理解があると、
「高次元のエネルギーとつながり、
それを扱える人なら、
その存在の影響を受けることで、
変化するって、あり得ることだよね。」
という具合に、受け入れられるかもしれません。
少し、違う話かもしれませんが、
臨死体験をして、あの世を垣間見た人が、
その後の人生を、
ガラリと違う生き方に変容させる
という話を聞いたことはないでしょうか。
肉体を脱いで
魂を感じる体験というのは、
生き方を変えさせるくらいの
強烈な影響を及ぼすもの。
ならばきっと、
そちらが真実の世界なのでしょう。
重要だと感じる事柄や価値観が
ガラリと変わるというのは、
すごいことですよね。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございました。