最も大切にしなければならないこととは・・

こんにちは、hanaです。

あなたには、その存在に触れているだけで、

幸せを感じる人、あるいは物はありますか?

そういう心惹かれる人や物には、

自分を幸せにするヒントやお手本を

示してくれる何かがあるのかもしれません。

そういう感覚は大切にしたいなと思います。

ところで、今日の話題は、

最も大切にしなければならないことについてなのですが、

私たちは、学校教育の中で、

集団の中で協調して生きることの

大切さを教わりながら成長します。

確かに、仲良くすることや、

周囲の人達と協調することは、

生きていく上で大切な事ではあります。

日本の教育では、ほとんどの学校で、

中学・高校と制服を着せられます。

厳しい学校では、髪型や持ち物、靴下や靴といった

身に付ける物、そして行動の仕方まで、

ほぼ全てを管理され、

少しでもはみ出したら注意されたりします。

そして、異性を意識するような年ごろには、

最も厳しく注意され、

それを守れなければ人間として不適格という

印象すら与えられるような雰囲気って、

なんとなく、ありませんでしたか?

まだ、自分なりの判断基準が定まらない時期に

教えられたことは強い影響を及ぼします。

大人になってからも、

その習慣から抜け出すことが難しく、

自分の思い込みがおかしい事にすら気づきにくい。

それが人生の初めの頃に知ったことで、

その後の判断に影響を及ぼす

基準そのものになっていたのであれば、

気づかないのは当然かもしれません。

パブロフの犬の条件付けのように、

考える前に反射的にそうしてしまうかのような。

「みんながやっているから。」という行動基準。

そして、なぜそうするのかと言うと、

人の目が気になるようにされているから

としか言いようのない

理由にもならないような理由に縛られている。

自分で考える習慣がなければ、

テレビの意見がいつの間にか自分の意見になっていたり、

それが、政治的誘導の込められたものであっても、

気づかずに正しいと思っている。

自分の考えは大したことのないもので、

偉い先生の言う事が正しいという思い込み。

あなたの人生で最も重要なのは、

誰よりもあなたの意見です。

それが、優れているかどうかは関係ないし、

人と比較することではないです。

自分が何に意識を向けているかに気づき、

判断基準について、

自分なりに考えるということ自体が重要です。

自分の意志でない意見に従うことに慣らされ、

従う事で認められて育ってくると、

命令に従って生きることに慣れ、

自分で考えて判断することよりも

命令する人の意に沿っているかを気にするので、

なぜ、そうしなければならないのかに

疑問も持たなくなります。

その方が楽で確実で、安全のように思えるから。

「なぜ?」と聞いてはならない、あの学校の雰囲気。

聞くと、「余計な事は考えなくて良い。」

とにかく、言われたように宿題をやってこい。

というような上から下への圧。

考えずに従うだけなら、ロボットと同じ。

自分の心の中で感じる違和感や

素直な疑問、

考え出された自分なりの答え、

それに従う生き方をした人は、

既定の路線から外れ、独自の道を形作り始めます。

そして、数十年後。

そのように生きてきた人の話を聞くと、

途中で苦しい事や辛い事があったとしても、

結果的には楽しかったので満足している、

良い人生を生きているという感想を聞きます。

そして、そういう人の目は綺麗です。

自分らしく生きることは、

より健康的で楽しく、満足感をもたらしてくれる

そんな生き方なのだと思います。

人と違う道には、

不安を感じたりすることもあるけれど、

それ以上のものがある。

生きている実感とか、退屈することなく、

次のビジョンを考える楽しみとか、

道なき道を行く事は、なによりも

縛られることのない

自由な精神をもち続けることであり、

自分が輝く生き方ができるという魅力があります。

この自由は、生まれながらの権利です。

とても有り難いことです。

そうでなかった時代や、

そうでない地域があることを考えると、

必ずしも当たり前でないものだという事を感じます。

権威や影響力のある人の言う事よりも、

自分の内側で感じる違和感に耳を傾けること。

それは、幸せにつながる

道しるべを示してくれるものです。

いつだって、私たちのハートには、

高次元の領域とつながるルートがあって、

幸せを感じる方向を

「こっちじゃない?」と教えてくれています。

それは、かすかな声なので、

気づかない事もあるかもしれない。

けれども、耳を傾け、聞こうとすることで、

少しずつ聞き分けるコツが分かってきたり、

感覚としてつかみやすくなってくるものでもあります。

そして、その道に従っていくと、

不思議とシンクロニシティが起きて、

運命の出会いに導かれていくということも

起こってきます。

それは、ハートが導く道は、

宇宙の方向性と一致していて、

自然の流れに沿っているからなのだと感じます。

表層意識で判断する基準は、

条件付けのように

「〇〇しなければ。」だったり、

不安や恐怖をもとに安全を求めた選択だったり

することが多くなりがちです。

私達を縛っている呪縛は、

強力に機能していて、恐怖や不安という感情を通して

思考や行動に制限をかけてきます。

それは一見、

自分で考えて行動しているかのようですが、

実は条件づけられたプログラムだったり

する可能性もあったりして・・?!

感情や感覚といったものを

無視していることに無自覚な状態。

これでは、幸せは遠ざかっていきます。

そして、いつの間にか

本来の人間らしい活き活きとした感情や

自由な生き方から感じる充実感や楽しさから

かけ離れてしまう。

常識という枠組みに囚われた存在として

見えない檻の中で生きることに、

疑問を持ったことはありませんか?

なんとなく息苦しさを感じる理由は

そんな感情や感覚が信号をくれているから。

自然の流れは、幸せを感じる方向を後押しします。

それは、自分が生きたい方向に道惹かれること。

大切な事は、ハートに耳を傾けること。

そして、自分が何をしているかに

意識的であること。

「なぜ、これをするのか」の理由を

自分の中に見つけ出せること。

それが魂の願いと一致していること。

それぞれの中に、ハイヤーセルフだったり、

大きな自分だったり、内なる神だったり、

言い方は様々だけれど、

そういうものとの繋がりがあります。

自分の中にある感覚に従う事は、

自分の中にある内なる神様との繋がりを

大切にすることであり、

自分自身を大切にすることでもあります。

本当に大切にしなければならないのは、

どうでもいいと軽視され、

意識しないように、無視するように、

考えないようにされてきた

自分の中に自然と湧き上がる感覚や感情です。

それは、とても大切なものです。

無視せずに向き合うことで、

幸せへの道を教えてくれます。

そして、その声に耳を傾けるためには、

時には心をクリアにすることも必要になります。

ノイズが多いと、内なる感覚は、

分かりにくくなってしまうからです。

心の掃除を続けると、

自然とその奥にあるものは見えるようになります。

川の水が濁っていたら、底は見えません。

澄んだ水の中では、底の様子が見渡せます。

そんなステップをお伝えしているのが、

言霊瞑想になります。

心の中の不要なものを片付けて、

幸せへの道を歩いていけますように。

気になった方は、どうぞ、こちらへ。

今日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。

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