「母の日 何もない」と二時間瞑想。

こんにちは、hanaです。

少しずつ暑くなってきましたね。

5月11日は母の日でした。

夕方頃のこと。

「ねえ、ママ。Yahoo!の急上昇ワードで

『母の日 何もない』っていう

検索ワードが上位になってるよ。」

と上の子が教えてくれました。

「母の日 何もない」

結構、あるあるなんだろうなー。

と、思いつつ・・

腹を抱えて笑ってしまった。(オイ。)

・・・いや、こういうのって、

「なんでよっ!」て悩むより、

笑い飛ばしといた方がいいって!!笑

だって、ほとんどの場合、

たいした理由じゃないでしょ。

単純に忘れてたとか、

忙しくて間に合わなかったとかさ。

お母さんなら許してくれるっていう

甘えん坊がたくさんいるってことにしとこ♪

かく言う私も、

今年はプレゼントが間に合わなかったのです。

というのもですね、

母の大好物を買いに行ったらまさかの在庫切れ。

「ウソでしょー!!」

もっと早めに買っておけば良かった。

という具合でした。

仕方ないので、母に事情を話して

少し遅れることを伝えました。

「後日でいいよー。」と快く許してくれました。

さすがです。

いつもありがとう。本当にありがとう。

子供たちに小さなかわいい

ドライフラワーのブーケをもらえたことは

当たり前ではないのだなと、

ありがたみを再認識。

本棚に飾っておくことにしました。

どうも、ありがとね!!^^

それでは、今日も二時間瞑想の記録を書きます。

令和7年5月10日の二時間瞑想

1週間前の半跏趺坐の痛みが残っていたようで、

座り始めてから30分ぐらい経つと

右足が痛くて辛くなってきた。

まだ先が長いのに、こんなに足が痛いなんて、

ただの苦行だと感じた。

ひたすら筋肉痛に耐える時間。

もう途中でやめてしまおうか

と思ったけれど、辛いけど、

2時間頑張って座ろうと思い直した。

途中から辛すぎて、

じっとしていられなくなり、

座ったまま、「いたーー・・」と言いながら

ひたすら足をさすっていた。

私は一体何をしているんだろう・・

と思ったけど、痛みが強いときには、

脳から快楽物質が出るはずと思った。

出産したときに、

イメージトレーニングのおかげで、

陣痛がだいぶ緩和された記憶がありまして。

痛みが強いときには、

脳が少しぼーっとした状態になり、

痛みを感じにくくなるという経験があったので、

それを期待していたのだけれど、 

なかなか切り替わらない。

残り15分位のところで、

ようやく少しぼーっとして

痛みが和らいできたけれど、

それにしても痛かった。

痛みがあると、

それ以外に何も考えられない。

よくも悪くも痛みに集中している。

じっと動かないと言うのは、

動いているよりも過酷だと思う。 

人間は動くようにできている。

筋トレで、プランクといって

うつぶせの状態で肘をついて、

ただその姿勢をキープしている時間が1番辛い。

その姿勢をベースに体を動かしていくのは、 

割と楽にできる。

じっとしているって

キツイことなのだなと再認識しました。

令和7年5月11日の二時間瞑想

昨日、筋肉痛がひどくて集中できなかった。

今日も胡坐をかいてみたけれど、

その時点ですでに痛みが走った。

この状態では集中できないため、

今日は瞑想ではなくストレッチと

ヨガをして体をほぐすことにした。

下肢だけでなく全身が硬くなっていた。

やっぱりゆるめることって大切ですね。

「緊張する必要のないときには決して緊張しないことを、

なんとしても学ばなければならない。

何もせずすわっているときには身体を眠らせなさい。

眠るときにはあなたの全部が眠るように眠りなさい。」

グルジェフ・ワーク p92より

ついでに、備忘録として。

人間の睡眠とは諸センター間の連結の中断以外の何ものでもない。

人間の諸センターは決して眠らない。

連想作用がセンターの生命であり、

その活動である以上、決して止むことがない。

連想作用の停止とは死を意味する。

どのセンターをとってみても、

その内部では連想作用は一瞬たりとも止むことはなく、

もっとも深い睡眠の中でさえ作動しつづけている。

グルジェフ・ワーク p92より

(※諸センターは、動作、思考、感情のセンターのこと)

寝る前に脱力する練習をしてみようかと思います。

全身をゆるめるって、意外と難しいんですよね。

それでは、今日はこの辺で失礼します。

お読みくださいましてありがとうございます。

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