体育の授業についての問題

子供が「マット運動や跳び箱が恐いから、やりたくない。」と話していたら、

どのように返答しますか?

私は親として、「頑張らなくてもいいよ。やりたくなければやらなくてもいい。」

と伝えています。

その理由は、いくつかあります。

一つ目は、自分自身も学生時代にマット運動が恐くて仕方なかったので、

子供の気持ちがよく理解できます。

大人になってから、倒立とかやらないですよね。

頑張っても役立たないし、できなくても困りません。

恐がってやっても、体が強張ってうまくできず、危険です。

恐がりながらの運動では、パフォーマンスは下がります。

けれど、授業に入れば、先生の言う事を聞かなければならない。

これは、恐怖に駆られている子供にとって、

苦痛以外の何ものでもありません。

二つ目は、先生がマット運動や跳び箱の安全な行い方を指導できないから。

実際に、跳び箱やマット運動の授業で怪我をして、

病院に搬送される子供が、少数ですがいます。

脊髄損傷になり車いす生活に、という場合もあります。

これは、大きな問題ですが、

対策が練られているとは思えません。

三つ目は、苦手で下手くそだということは、

当の本人が一番よく分かっているのに、

成績を付けられて

出来ないというレッテルを貼られることに、

何の意味があるのでしょう。

自信を無くさせることは、プラスになるのでしょうか。

しかも、将来不必要なことのために。

では、将来の役に立つことを教えるということは、

どんなことなのか、

親の目線で考えてみたいと思います。

まず、体育の授業であれば、

「健康を維持するために必要な知識」を教えていくこと。

例えば、「運動習慣を作っていくことの大切さ」を教えることは、

大人になっても役に立つと思います。

例えば、マット運動を意味のあるものにするならば、

体の柔軟性を保つことで怪我のリスクを減らすことができることや、

体の代謝を良くすることができることを伝えていく。

成長期は、体の成長が著しく、ストレッチは大切です。

そのために、柔軟体操やストレッチのやり方を

実際に一緒にやって教えていく。

このことに時間をかけて、

じっくり教えていく方が役に立つと思います。

その中で、運動前に準備体操として行うと良い事や、

日常生活の中に、習慣として取り入れてみることを伝える。

こう言う事が大切ではないかと思います。

苦手な事を強制的にやらせて、

成績を付けて、優劣競わせてという今のやり方は、

方向性がずれています。

苦手な事は、誰にでもあります。

苦手でも良いのです。

それを克服する必要性は、どこにあるのでしょうか。

得意な人や、やりたい人は、

倒立とか台上前転とか、

難しい技にも挑戦させてあげたら良いと思いますが、

それは、強制することではありません。

授業の中では、恐怖を感じていても、

やりたくなくても「嫌だ。」という事はできません。

先生という権力者を前にして、反抗的だとみなされてしまいます。

子供の意思は、十分に尊重されません。

授業の中で、子供に選択権はないです。

親が、休んでもいいと言わなければ、子供自身にはどうすることもできません。

また、難しい技をやる時には、練習の仕方を教え、

安全に段階を踏んで教えることも、

不要な怪我を防ぐために必要な事だと思います。

二人一組で倒立の練習をさせるなら、

いきなり倒立させて、相方に正面で足をキャッチさせるのではなく、

(キャッチしそこなったら危ないです。)

まずは、床に両手を着いた状態で、

相方に両手で骨盤を支えてもらいながら、足を上げさせるとか。

その時には、「足の高さがもっと高くて良いよ」

などのフィードバックの声かけをさせるとか。

(ちなみにこの方法は、体操教室の先生の教え方です。)

学校の先生は、その競技のプロではありません。

その部分は、その道のプロを外部講師として招待して教えてもらう方が、

子供たちも安全に楽しく授業を受けられるのではないかと思います。

いろんな競技を経験させることで、

楽しいなとか、自分でも習ってみたいなと思うような

スポーツに出会うきっかけを作れる、

という事は意味があると思います。

けれど、怖がっていたり、苦手だったりする子供にも配慮し、

他の授業や、他の運動との選択制にするなど

柔軟な対応方法があっても良いのではないかと思います。

大人になったとき、役に立つことは何か。

子供が中心、という軸を大切にしていくことが、

方向性の修正に役立つと思います。

個々の先生の問題というよりは、

教育制度そのものの問題が大きいのでしょう。

社会全体を見渡した時、得意な事を仕事にしていく方が、

サービスを提供する側も、受ける側も

幸せなのだと、大人になってから気づきました。

好きな事や得意な事を極めて仕事にできたら、幸せだと思います。

もちろん、短所をうまく活かした働き方もあります。

背の低いバスケットボール選手もいるし、

ぽっちゃり体型を活かしたモデルさんもいます。

それも魅力的です。

先生には、その子の良さをうまく活かせるような

アドバイスをしてもらえたら

親として、とても有り難いです。

社会は、人と人が助け合う事で成り立っています。

高所恐怖症の人に、高層ビルの窓掃除をお願いしなくても、

得意な人がやった方が良いですよね。

苦手な事は、得意な人に任せればよいです。

そして、得意なことや、興味のあることを伸ばしていく事が、

個性を発揮し、才能を開花させることに

繋がるのではないかと思うのです。

ですので、体育の授業に苦痛を感じている

子供たちに、頑張らなくていいと伝えたいです。

必ずしも、先生や教育制度が正しいわけではないので、

不必要に苦しまなくていいですよ。

どうしても嫌なら、逃げても良い。

苦手な事より、得意な事に力を注ぐ方が、

将来役立つ仕事に結びつくきっかけが作れると思います。

料理が好きな子は、調理実習をたくさんしたら良いし、

研究が好きな子は、理科の実験を一日やってても良いのではないでしょうか。

趣味の合う子と友達になって、

大人になっても一緒に働いているかもしれません。

日本の教育制度自体が変化することを願います。

学校がそういう場所になれば、もっと楽しくて

登校拒否の子が減るのではないかと思います。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする