嫌われるのは辛いこと。だけど、それでも嫌われて良い。

こんにちは、hanaです。

今日は、誰に向けてというわけでなく、

独り言を書きたい気分です。

ふらっと立ち寄って、

小話に付き合って下さるような

余裕のある時にお読みください。笑

ブログを書いていますが、

自分の想いを表に出すこと、

本当はあまり、得意ではありません。

自分の表現の至らなさに、

辛くなる時もあります。

そして、自分の心の奥で感じていること、

想っていることを表に出せば、

大多数の人に受け入れられず、

嫌われていくであろうことも分かります。

「それでもいい。」

「それでもいい。」

そう想って書いています。

嫌われることは、辛いことですが、

それでも、私は私でありたいし、

正直に表現することを止めたくない。

他人からの評価よりも、大事な物があり、

例えて言うなら、それは、

You Tubeで言う、チャンネル登録者数やいいねの数、

X(twitter)のフォロワーの数では測れないもの。

届く人にだけ、理解できる人にだけで構わない。

客観的評価を得ることは、

この世界を生きる上で

大切な面もあるかもしれません。

けれど、そういうものを追いかけると、

軸がぶれたり、

大事な物を見失ったりしやすくなる。

けれど、自分がどう感じるかという

主観的評価を主体にしていく生き方に

切り替えて行ったとき、

それは、

自己満足の世界だけれど、

自分の人生に彩りが出てくる感じがします。

それは、幸せなことなんじゃないかなと。

すべての人に好かれたいかと言ったら、

それは、違う。

本当に大切にしたい価値観を共有できる人達と

共にいられたら、

それは、幸せなのではないかと。

伝えていきたいことや、

理解してもらいたい価値観はあるけれど、

それを理解できる人は、きっと限られている。

だから、いろいろな形で、

価値観を共有する人が

それぞれに届けられる人達に

伝えていけたら、

それで良いのではないか。

他者の評価は、横に置いておき、

自分がどうありたいのかという生き方を大切に、

好きなように自由な遊び心を抱いて

空間に夢を膨らませている時間が

人生を楽しくしてくれる。

下手くそでもいい。

自分らしく在ることは、

私にとって、とても大切なこと。

だから、嫌われても良いと、

自分に許可することは、

幸せに生きる上で大切なこと。

正しいかどうかは分からないし、

正誤で判断することでもないのではないかな。

hanaは、そんな風に感じています。

あなたは、どう感じられますか?

今日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

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