こんにちは、hanaです。
インフルエンザが流行していますが、
体調を崩されたりしていませんか?
私は、子供の運動会に行って来ました。
こういう知り合いに多く合う場所は、
正直、ちょっと苦手です・・!笑
今日は、そんな社交の場でもある運動会で、
これまでの学びを活かして
潜在意識レベルが現実化していくということで、
前提に持っている意識を変えてから
行ってみようという実験をしてみました。
外側のことを考えて、「苦手だな」
という気持ちにフォーカスするよりも、
内側から出る想いである
「満たされた気持ち」や「温かい気持ち」に意識を向けて、
自分も相手も受け入れるように、
イメージを通して潜在意識に働きかけてみました。
不安な気持ちは、外側の世界を眺めていて、
感じてしまうことが多かったためです。
比較したり、悪い方向に想像したりする
きっかけを外側に見つけてしまうような感じですね。
例えば、近くに知り合いがいるのに気づかなくて
失礼してしまった・・・とか。
なんとなく、伝わると良いのですが。
それよりも、内側に意識を向けて、
満たされた気持ちで外に向かうと、
どうなったでしょうか・・?
前提条件を変えてみたら・・・
そうしたら、運動会を意外と楽しめました。笑
前提条件として、苦手なイメージではなく、
心の奥深くに存在する「温かい場所」に
繋がることを意識していました。
そうすると、
外側にもそれが反映されていくようでした。
周囲を眺めて、知り合いがいたら、
優しく声をかける気持ちになり、
いつもより自然に楽しんでいられて、
あまりお話しした事がない人と接することも
有り難いなと感じながらお話ししていました。
あまり会わない人や
普段接しない人達とお話しすることは、
社交的でない人間にとっては、
ストレスに感じることもありますが、
前提条件が変わると楽しむこともできる
そんな風に想いました。
エネルギー循環のさせ方の変化
外側の世界に影響を受けて、
内側に取り込むという流れから、
内側を最初に設定して、
外側に出していくという流れに変化させる。
これは、1つのテクニック
みたいなものだなと感じました。
そして、現実化の流れが加速している
この時代だからこそ、
効果が感じやすくなっている方法だなと感じます。
少し前なら、この方法で
効果を感じることは難しかったと想います。
エネルギーも外側から内側に取り込むと、
周囲からエネルギーを吸収しているかのような
見え方になります。
けれども、内側から外側に放出すると、
自分から周囲にエネルギーを発するという
見え方になります。
エネルギーは、吸収するよりも
発する方が、受け身の状態から
行動的な状態になりやすくなることを感じました。
ネガティブな気持ちも、感じて良い。
いろいろな人と接していると、
何人かは苦手な人がいたりします。
そして、苦手な人は二通りに分けることが
できるなと思いました。
一つ目は、自分の内面を整えることにより、
苦手ではなくなっていく人。
いわゆる、自分の内面にある闇を映し出す役割の人。
二つ目は、自分の内面を整えても、
それとは関係なく、
相手の都合で嫌な態度をとる人です。
一つ目のタイプは、
苦手だと感じる原因が自分の中にあるので、
自分の中に眠る自分に対する嫌悪感や
ダメだと感じる部分と向き合うことで、
自然に苦手ではなくなっていきます。
ですので、苦手な人や嫌いな人の数は、
内面を磨く毎に減っていきます。
二つ目のタイプは、
自分が嫌われるようなことをした覚えがなくても、
相手の都合で、勝手に嫌っている人。
原因が相手の内側にあって、
自分では嫌われる原因を作っていない場合です。
もしかしたら、過去生のカルマとかかも
しれませんが、それは分かりません。
悟りを開かれたお釈迦様のことも、嫌う人はいました。
弟子の提婆達多は、
お釈迦様の命を狙ったと言われています。
それくらい、他人の心は、
自分の内側を磨いたとしても、
どうにもできないものなのだと思います。
そういう人は、わざと嫌な態度をとったりします。
挨拶をしても返さない、会話の中で無視をする、
見下した態度で接するなどですね。
こういう人とも、自分が変わることで
出会うこと自体が減っていくので、
普段会う事は少ないのですが、
それでも、同じ世界に住んでいるので、
時々は顔を合わせます。笑
こういう人は、競争意識や嫉妬心、
偏見、固執した価値観などに縛られていて、
抜け出せず苦しんでいたりします。
hanaは、以前、
自分が何もした覚えがないのに、
なぜ、嫌な態度を取られるのだろうか、
自分に非があるのではないかと、
悩んだりしたことがあります。
今は、その人の内側にある苦しみ、
満たされない想いを感じるので、
仕方のないこと。として受け止めています。
もしも、カルマ解消の機会だとしたら、
これまた、感謝すべきなのかもしれません。
けれども、嫌な態度をとられた瞬間は、
「まただ。嫌だな。」と感じたり、
「大人げないな。」と、呆れてしまったりします。
それは、人間としての自然な反応なので、
「嫌だ」「苦手だ」と感じる事自体を
否定する必要はなく、
ただ、受け止めれば良いのだと想っています。
ネガティブな気持ちを感じることまで、
悪い事として否定してしまうと、
苦しくなってしまいます。
「嫌い」の感情も大事なものです。
感じることが悪い事であるかのように、
全ての物事に反応せずにいるのは、
機械じゃないので無理なことです。
嫌な感情には蓋をしてみないふりをしても、
いつかは、積もり積もって出てきます。
むしろ、正面から向き合う事で
解消されやすくなっていくのだと思います。
そして、大切なのは感じた後に、
その感情に囚われないこと。
例えば、嫌いの感情に囚われて
悪い方に想像を膨らませて、
嫌な態度をとられたから、復讐してやりたい。
と感じたとして、それを実行したら
争いの世界へ行ってしまいます。
それでは大変、辛い世界になってしまいます。
私は、それが嫌なので、
「嫌だ」と感じた。で終わらせます。
それ以上は、
ネガティブな思考を膨らませないように努めます。
それから、嫌な事をする人に対して、
「あの人も幸せになりますように。」と祈ります。
祈りには力があるので、
ひょっとしたら、幸せになって、
嫌な気持ちから、
その人が解放されるかもしれません。
きっと、
「嫌いだ」と態度で示さずにはいられない
ような心境というのは、苦しいものです。
例えば、前回の記事に書いた、
私が苦手だと感じる人についてですが、
この方の場合は、
原因が相手の内側にあることで、
私にはどうすることもできないことでした。
それが分かっているので、
それ以上、悪く思う必要性は感じません。
相手がどう思うかまでは、
私にはどうすることもできない。
相手の中にある問題です。
そのことに、私が囚われて苦しむことは、
私自身のためにならないし、
相手のためにもなりません。
私が気にして落ち込んだり悩んだりする方が、
相手にとっては面白いかもしれません。
エネルギーを奪えるので。
けれども、それは、
本当の意味で相手のためにはならないのだと想います。
なぜなら、いつか
自分の行いを振り返る時が来た時に、
「相手を落ち込ませてしまった。」と、
後悔するかもしれないからです。
それは、あの世でかもしれません。
その時に、「別に、何も気にしてなかったよ。」
という方が、相手の方が楽になると想うので、
気にしない事というのは、
自分のためだけでなく、
長い目で見たときに、
相手のためにもなるのだと想っています。
(随分、気の長い話ですね。笑)
木の葉のように揺れ動く感情
風が吹けば、木の葉が揺れ動くように、
身の回りの出来事に反応して、
喜怒哀楽の感情が出てくることは自然なことです。
感じ方には個人差があったり、
物事と心理的に距離を置くことで、
感情を感じにくくすることはできます。
けれど、自分に直接かかわる出来事などでは、
感情は動くのが自然な事だと思います。
瞑想して、気づきの力をつけても、
何も感じなくなるのではありません。
感じなくなるのではなく、
感じたことの扱い方が上手くなります。
落ち込んでも、立ち直りがはやくなる。
怒りの原因に気づきやすくなる。
原因と結果について、理解しやすくなる。
物事を深く眺めるようになる。
感情は、怒りでも不安でも感じること自体を
否定する必要はなく、
気づきのきっかけを与えてくれる大切なものです。
そのように、体は創られているので、
自然なことを否定する必要はないです。
感情があるからこそ、いろいろなことを
分かり合う事もできるのだと想います。
自分のなかにある弱さを認める
落ち込んだり、不安になったり、
そんな自分は弱虫で嫌いだと
否定してしまう事があるかもしれません。
私には、弱い自分をあまり好きにはなれない。
そんな過去がありました。
弱さを嫌い、否定して、
こんな自分だから、舐められるんだとか、
ネガティブな気持ちになっていました。
けれども、弱さを認めて受け止め、
落ち込むことも、不安になることもあって良い。
それは、頑張っているから出てくるものだったり
自分にはもっとできるという気持ちだったり、
そういうものがベースにあって出てくる。
本当は、感情に善も悪もないし、
喜びや楽しさの感情にも、
調子に乗らせたり、
大事なものを見失わせるという
負の側面があったりします。
瞑想をして感じられる普遍の境地とは。
感情は道しるべなので、
感情をたどって、
心地よい方向を目指すことが、
間違っているとは思いません。
それは、創造主により意図されていることでもあります。
その中で感じることは、
刹那的な喜びや楽しさよりも、
それを超えた奥深くに眠る、
もっと静かな場所から湧き上がってくる
温もりや優しさの感覚が
大きな自分に繋がる普遍のものであり、
大切にするべき感覚だということです。
そこに繋がることができると、
心が安らかになっていきます。
それが、内なる光に繋がる感覚。
変わらずいつも奥深くに居て、
静かに見守っている、自分自身。
そこにたどり着くには、心の闇を取り除き、
清らかな状態でいることが必要とされます。
hanaはまだ、現実の出来事に振り回されて
見失ってしまいそうになるけれど、
瞑想を極め、悟りを開かれた方は、
ずっと、その境地にいらっしゃることが
できるのだろうなと想います。
hanaにとっては、悟りなど遠い世界の出来事・・
という感じですが、それでも、
心を清めていくよう努めて行ったことで、
内側にある光の存在を感じることができました。
ですので、継続する先に素敵な出会いがあると
感じて頂けましたら幸いです。
今日も、お読みくださいまして、ありがとうございます。